「あなたを待っていたのよ」なんて、退屈している女ならみんな口にするものだ
ホロウ・シカエルボク


街外れの巨大な交差点に遺構のように居座っている歩道橋の橋脚に点在するこびりついたある種の伝染病による斑点を思わせる赤錆は、それが置き去られた無機物に歌える唯一の詩だとでも叫んでいるみたいに見えた、かつては数えきれない人々が逸りながらそこを渡って行ったかもしれない、でもいまそのあたりを行き過ぎているものは、いつかなにもかもを薙ぎ倒してしまおうと目論んでいるかのような郊外特有の猛烈な風ばかりだった、吹きすさぶ風の中に居るとまるで何かを誤魔化されているような気分になる、隠していることを悟られまいとのべつ幕なしに喋り続ける詐欺師と対峙しているみたいな、そういう気分、もしもこの風をバイクのカバーを外すみたいにベコッと取り外して隅に追いやることが出来たらこの目には何が映るのだろう、この耳には何が聞こえるのだろう、そんなことを考えてはみたけれど、でもそれは今すぐ宇宙空間に行きたいと願うのとさほど変わらない無意味な願いだった、歩道橋のステップは見た目ほど心許なくはなく、むしろ安心感さえ覚えるほどの確かな硬質でスニーカーのソールを受け止めた、歩道橋の中央で立ち止まると、片側三車線の道がただただ前後に、虚ろとも呼べるほどの感覚で伸びているのが見えた、歩道橋の上から見る景色は悪くない、それがどんな種類のものであろうと、それはきっと歩道橋の上からしか見ることが出来ないものなのだ、靴底がとらえる感触には少し砂が混じったようなノイズがあった、しゃがんで撫ぜてみると確かに微かに細かい砂が積もっているようだった、このあたりには砂地などない、いったいこれはどこからやってきたのだろう?塵や埃が湿気などで固まり、こういった感触を作り出しているのだろうか?考えても答えが出ないことは分かっていた、だから、それきり靴底の感触のことは忘れて歩道橋を渡り終えた、渡り終えたところで振り返ると、上るときと全く同じデザインの階段が同じ角度で伸びていた、閑散とした景色の中で歩道橋の両端をしげしげと眺めてみたことがあるだろうか、一度やってみるといい、それはパラレルワールドの存在を納得するのに十分なくらいの感想にはなる、昔、このあたりには巨大な遊園地とショッピングモールがあった、誰もがここを訪れ、娯楽や買物、食事を楽しんでは帰って行った、ある時彼らは帰ったきり二度と戻っては来なかった、ここはすべての居住区から遠過ぎたのだ、だからこそ出来た巨大な施設ではあった、でも、だから、あっという間に廃れる羽目になった、それがあった場所はいまただの固められたアスファルトになっている、一見すると駐車場のようだし、実際そこに車を止めたところで誰かに文句を言われることはない、常駐したって全然問題はない、でも、ここに車が止まることはない、誰に踏まれたこともあまりない黒々としたアスファルトを眺めていると、遙か昔ここで無残な争いでもあったのだろうかという気がしてくる、整地されただけのだだっ広い空間というのは、どこか忌わしい連想を呼び起こすものだとこの土地は教えてくれる、野球の試合が同時に4ゲームくらいは出来そうな広い敷地の中央まで歩き、腰を下ろす、じっとしているとたった一人の生き残りになったような感じがする、それは想像していた以上に奇妙な感覚だった、気味が悪い、と同時に、このままその感覚に身を任せていたいと思うような何かが潜んでいた、それは、苦しまない死への恋慕のようなものかもしれない、もしもそんなものが存在するのなら、人間の数がこれほど増えることはなかっただろう、居心地がいいわけでも悪いわけでもなかった、だからこそ何時間でも座っていられるだろう、そんな気がした、だからさっさと退散することにした、そこに座り続けることを覚えてしまったら、もう現実世界には戻れないかもしれないと思ったからだ、景色は動かず、車道には車の影もなく、もはや写真のようだと言っても差し支えなかった、風と、光の蠢きがなければ本当にそのまま、その異常さの中に取り込まれてしまうに違いない、二軒の家が、ガリバーがのんびり横になれるくらいの間隔を開けて建っていた、どちらの家にも住人が居ないことは明らかだった、ここが栄えることを信じて飛びついた誰かが居たのだろう、遠目にもそこが住処として使われたことがないらしいことは見て取れた、バースデーケーキの食べられない飾りみたいな悲しみを二つの建物は秘めていた、その家に向かって歩いた、それを見物したら現実に帰ろう、そう思いながら、近づくにつれその薄ら寒い空気に震えさえ覚えた、一つ目の家にはすべて鍵が掛かっていて入ることは出来なかった、その鍵はいつか開かれることはあるのだろうか、そう思いながら二軒目に向かった、そのころにはどうせ駄目だろうという気持ちになっていたが、そんな予想に反して玄関のドアはなんなく開いた、家具の全く置かれていない屋内には埃だけが積もっていた、一人で内見に来た客のように一つ一つの部屋をゆっくりと見て回った、一階には何も無かった、家具どころか、語るべき特徴すらない、標準的日本人がなんの疑問も持たずに住む、そんなつまらない家だった、二階への階段を上る途中、変に空気が重くなったような気がした、きっと、締め切られていたせいで籠っているのだろう、そう思って先へ進んだ、二階には三室あった、やはり、何の変哲もない部屋だった、まあ、入れただけでも…そう思いながら最後の部屋のドアを開けて、思わず立ち竦んだ、そこにはキッチンのテーブルセットのような凝った細工の椅子が一脚だけ置かれてあり、その椅子には実際の子供くらいの大きさの、煌びやかなドレスを着た外人の少女の人形が腰を下ろしていた、近づくと、彼女は礼でもするかのようにぺこりと頭を下げて、それからこちらの目の中を覗き込んだ、こんなところに寄らずに早く帰るべきだったのだ―少女の人形はそれからにこりと笑い、甘えるようにこちらの手を取った。


自由詩 「あなたを待っていたのよ」なんて、退屈している女ならみんな口にするものだ Copyright ホロウ・シカエルボク 2021-10-12 22:37:33
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