大岡信の評伝について
……とある蛙

※ほぼ感想文です。

どうも、私は彼のとても薄い教え子の一人のようです。
 明治大学法学部の一般教養課程の「国語」で彼に教わっていたようです。
 それも一年生の時で一、二回しか授業を受けていません。
 同級生から有名な詩人なのだと言われましたが、その当時は然程興味は持ちませんでした。

 今回、岩波新書の「大岡信ー架橋する詩人」大井浩一著を読んで、今自分が問題意識を持っている「個と集団における文学」について、大岡自身かなり問題意識を持って取り組んでいたことを認識した。
 同書ではもともと大岡はそのスタートにおいて、文芸批評において評価を得たとしている。特に吉本隆明が規定し、批判した第三期の詩人たちを「蕩児の家系」において五〇年代の詩人として「感受性の祝祭」の時代として、詩の主題からの脱却を肯定的に評価した。 詩自体が主題となり、詩は手段では無く、対象とってなってゆく。詩は感受性の実体化といえるのでは無いか?大岡流に言えば「詩は想像性の形象化」といえるのかもしれない

※実際には谷川俊太郎の「死んだ男の残したものは」など必ずしもすべてが主題性から脱却したものだけでは無いが。
 
 それはさておき、本書で個人的に注目したのは大岡信の連句、連詩などの集団創作活動とその位置づけである。
 私自身俳諧の連歌などには大変興味があり、それに関連する書籍なども読んでいる。
 本書では詩人からスタートした大岡信が日本の詩歌の伝統としての連歌、連詩、ひいては歌合の伝統ある和歌をどのように見得ているか興味があったのでやり始めたという経緯がある。
 詩の世界における政治との距離は、大岡の生きた時代は大変難しく、何らかの党派制を持たざるを得ない状況があった。
 しかし、大岡は党派制の無い減速した生き方を選んだ。詩においても主題性を減速し、詩自体を主題とした感受性を中心においた詩を肯定した。そのことは個のみが詩歌の主題となり、矮小化することを示すものでは無い。
個を圧殺する集団の論理は否定するが、個を発展させる、あるいは個を拡張させる集団創作は当然肯定されてしかるべきであろう。
 そこから連句、連詩の世界に大岡は注目する。

連詩における規則は個人の才能を圧殺するのでは無く、関係者との関連で個人の才能に害を与えないように整理するための規則として捉え直した上で、共同作業としての芸術に消化させようとしている。戦後(このような言葉も雰囲気も良く理解していないが、)、いや、明治以降、個も拡充、個を見直すことこそ文学としていたような日本文学の方向性とは異なる芸術感を持って芸術感を捉え直そうとしている。
 大岡自身、和歌、古来の歌謡、短歌俳句などの伝統文学の系譜の先に現代詩も置こうとしている。
 そこに連詩の思想も生まれてくる。

 と言ってしまうと難しくなってしまう(大岡の最も嫌うところ「文芸評論などが過度に武張って難解になること」であるが)。

むしろ、大岡は現代詩が独りよがりの袋小路に陥ったことを救う対象療法としての連句、連氏を考えていたようである。。六〇年代、七〇年代を経て益々現代詩はその表現の自由度から、言葉と言葉の間の関連性を不明なまま書かれることを多くなり、小児的になってきてしまった。大人的な対応としては書かれたも言葉の関連性は、読むもの一に関連性を無視しては書かれ得ない。

ひるがえって俳句の世界では、正岡子規という巨人が、偶然とはいえ写生という表現の方法論を提案したことから、古典の膨大な知識や素養なくだれでも俳句(まさに俳句という大衆文芸を創設した)。
高浜虚子に至って、客観的写生を提唱し、有季定型というわかりやすいフォームを提供することによって、俳句の大衆化を進めた。

 しかし、俳諧の世界の持つ伝統を継承することによって、この表現を充実させることも可能であろう。この点さらに考察する必要はあると個人的には考えている。


散文(批評随筆小説等) 大岡信の評伝について Copyright ……とある蛙 2021-08-30 09:35:03縦
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