いつか声をあげるときに
ホロウ・シカエルボク


あなたは冷たい水に手を浸して、至高の果実はきっと血の混じった奇妙な味がするでしょう、わたしの心は茨の蔓で情け容赦なくくるまれて、わずかな動作で果てしなく食い込む痛みで朦朧とするでしょう、時はもはや意味をなさず、わたしたちは、生存の隙間に落ち込んだものたち、原罪を抱き、やつれ血走った網膜に、燃え盛る炎のような夕暮れを焼き付けたまま、次のペシミズムの理由を貪欲に漁るでしょう、足元は真っ赤なぬかるみ、まるで内臓の上を歩いているようだ、と、わたしたちは思うに違いありません、風は冷たく、なのに不快な湿気を孕んでいて、それはとてつもなく神経を消耗する元凶になるでしょう、讃美歌は不協和音に彩られ、鼓膜は硫酸の雨を浴びたかのように傷むでしょう、世界にはもう、穏やかな場所などないのではないだろうか、と、わたしは度々考えました、ひとの心は地に落ち、ごみ捨て場を掻き回してわずかな食べ物を探すような卑しいものたちが当たり前のように生きている、上面の清潔さと真面目さを振りかざし、下劣な笑みを浮かべているのです、このようなものたちとともに生活を繰り返せば、ほどなく泉は枯れ果ててしまうことでしょう、わたしはあなたのあとで泉に手を浸し、その冷たさに愕然とし、しかしどこか安堵した、一見矛盾とも思えるそんな感覚を覚えながら、静かに、静かに、心の底へと沈殿していきます、まるで、稼働を止めた原子力発電所の中に降る灰のように、そしてそれは、底に到達したとき、低い小さな、音叉のような音を一瞬立てるでしょう、そして、その音を聞くことが出来たものはひとりもいないでしょう、しかし音は、たとえ聞くことが出来なくとも身体で感じているものです、その音は教えてくれるでしょう、いまの心の状態について、無意識化で察知する感覚は、身体の中にそれまで存在しなかったなにかを生み出すはずです、それは成長であり、進化の始まりです、日常の中で覚えた余分なものがすべて剝ぎ取られたとき、わたしたちは確かにそれを感じることが出来るはずです、わかりますか?血を理解するためには、いったんそこから遥かに遠ざかる必要があります、都会を離れ、雄大な自然を訪れて初めて、都会というものを知るみたいに、極から極へと、一瞬で飛び去ることは得策ではありません、そこに至るまでのすべての道の上にも受け取るべき現象はたくさんあるのです、必要な事柄をいくつか飲み込んだとき、血のぬくもりが初めて体内を駆け巡っているかのように感じるはずです、わたしは泉から手を放し、そのまますべての現象から離れてしまったみたいに感じます、体感している温度の変化によるものかもしれません、あるいはもっと精神的な要因があるのかもしれません、でもそれについて知ることはわたしの目的ではありません、わたしたちは寄り道を止めてまた歩き始めます、相変わらず、朝も昼も夜もない、四季もない、時間もない世界です、あなたは敷き詰められた内臓のような地面の上に、自分の生首があるのを見つけます、わたしも同じく、私自身の生首を見つけます、あなたはしばらくそれを見下ろしたあと、ひどく腹を立ててそれを蹴り飛ばします、それは毬のように弾み、それから地面に沈んでいきます、つくりものだ、とあなたは吐き捨てます、そしてそのまま地面に飲み込まれていきます、あっというまに、わたしは呆気にとられ、あなたの消えた地面と、わたしの生首をしばらくの間見つめます、わたしの生首はなぜか、自分が死して身体から切り離されたことにほっとしているような表情を浮かべています、わたしはそれを両手で広い、しっかりと抱きます、そしてたったひとりで歩くことを再開します、ひとりで歩くことになった、とわたしは考えます、けれど不思議なことに、怖れも心細さもそこにはないのです、ただやるべきことをやるだけだ、とわたしは考えています、あのひとの行動はあまりにも軽率に過ぎました、しかたのないことです、そんなふうに思い、それから、これはいったいなんなんだろう、と。首をひねるのです、あれは確かにあのひとの落度だった、そしてわたしはあのひとのそんな姿を初めて見たのです、そういうことだったのです、わたしたちはみな原罪を抱いています、そしてそれを、どうしようかと考えながらこうして歩き続けるのです、おそらく、永遠に歩き続けることが出来るだろうというほどの大地の上です、ふと、わたしは、夕焼けの感覚が薄れているように感じました、自分の生首を持って、わたしはぼんやりとこれから向かうのであろう方向を見つめます、そのときふと、もしかしたらこの先この風景を見ることはないのかもしれないと思います、それは正しくもあり、間違っているともいえる感覚です、現象はすべて心が作り出すものだ、ふとそんなフレーズが脳裏をよぎった刹那、空が真っ二つに割れ、閃光が注ぎ込まれます、わたしはその裂け目にとてつもないスピードで飲み込まれていったのです―。


自由詩 いつか声をあげるときに Copyright ホロウ・シカエルボク 2021-08-23 21:11:37
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