カオス・アンド・ディスオーダー
ホロウ・シカエルボク


光線の行方の向こうに、ねじくれた俺の鼓動が放置されていた、俺は震える手でそれを拾い上げ、正しいリズムを言い聞かせたが、そいつはいうことをきかなかった、「それは医学的見解に過ぎない」とそいつは言うのだ、標準的真実と自身の真実の違い、同じ真実でありながら決して相入ることのない二つの座標、俺は口にしたい言葉のなにもかもを飲み込んだ、こうなってしまうと俺自身にももうどうしようもない、なぜなら俺にはどちらの正しさも理解出来てしまうからだ、あちらの真実が正しいと思うならあちらに沿えばいい、こちらが正しいと思うならこちらに沿えばいい、真実なんて所詮それだけのものに過ぎない、もしもそこに優劣が生じるとすれば、どうやってそれを語るかという部分になるだろう、主張ばかりに気持ちを奪われて、内容がおろそかになってしまってはいけない、もちろんそんなことは少しも珍しいことではないけれど、見たことあるだろ、やたらと同じ言葉を繰り返しているだけの連中、あれだよ、中身がない、あるいは語れないとそんなザマになる、そんなものは脇にどけておけばいい、掘っても何も出てこないならばそれは良くない土地だ、足を踏み下ろす価値などない、鼓動は、主張はともかく俺の体内に戻りたがっていた、心臓はからっぽでイズムのない動きを繰り返していた、鼓動は心臓の主張なのだ、俺は鼓動を飲み込んだがそれはいままでのものとは少し違っていた、完全に身体に馴染むまで結構な時間がかかった、その間俺は肩で息をしていなければならなかった、ふざけるな、と俺は悪態をついた、ふん、と鼓動は鼻を鳴らした、意外に思えるかもしれないが、本当は自分自身のことだって自分の意のままにはならない、死を避けることが出来ないのと同じように、だから断定などは愚かしい行為だと俺はよく口にしている、真実は不確実で不明瞭な領域にこそある、答えてはならない問、それが真実に関する問だ、イヤホンを耳に突っ込んで、ビッチェズ・ブリューを流し込む、緩やかな、けれど、張り詰めたビートが浸透していく、どうやって語るのか、重要なのはそこだけだと思っていていい、自転車のような速度で雲が流れていく、夏に起こるすべてはまぼろしのようだ、それがもっともおさまりのいい実感であることを俺は知っている、まぼろしの実感、まるでゴダールの映画のようだが、俺に言わせればそれがこちら側の真実というやつだ、新しい詩が書きたい、いままでずっと使ってきた言葉で、いままで一度も書いたことがないような詩を、思えばいつもそんなことばかり考えているような気がする、それがきっと日常のあらゆるもののフォーカスをぼやけさせるのだろう、真実は分かる、けれど、現実は分からない、そういうことだ、高架を電車が通り過ぎる、穏やかな戦争のような振動、アスファルトの照り返しで視界はいつだって揺らいでいる、死の直前のような景色、夏は威勢のいい断末魔だ、だから俺は夏を好きになれない、そんなもの、わざわざ誰かに見せてもらう必要などないのだ、西日を反射しながら、どこかへ向かう飛行機が長い長い足跡を残していく、足跡は永遠には残せない、飛行機雲がいつまでも空にあったら、俺たちはそれを無粋だと感じるだろう、ああ、どんな理屈を重ねようが人生は結局のところ刹那的だ、瞬間の連続に過ぎない、それは堆積ではない、生まれてすぐに消えていく現象の連続だ、だから俺はここに居る、だから俺はここに居る、痛みながら、澱みながら、スピードにとり憑かれて、詩情を嘔吐している、喉の奥に痛みが走るまで、喉の奥に痛みが走るまでさ、それで初めて自分自身に気付くことが出来る、だから俺はここに居る、新しい詩はまた生まれる、だから俺は、だから俺は…横断歩道で妙な混雑を目にする、轢き逃げらしい、中年の女が横向きに倒れている、意識がないようだ、心得のあるらしい若い女が対応している、遠くで救急車のサイレンが聞こえる、救急車に合図を送っている青年の他はみんなただの野次馬だ、目立たぬようにスマートフォンを持ち上げている男もいる、指が動いていないところを見ると動画を撮っているようだ、野次馬だらけだな、俺は思わず呟く、一番近くにいた女が俺を睨み、舌打ちをする、分かってるよ、野次馬が一番正しいのが近頃じゃトレンドだ、俺はそう返す、女はあまり理解出来なかったみたいで、一瞬困惑の表情を浮かべて自分の役割に戻る、被害者は助かるだろうか、とその場を離れながら俺は考える、いつだって誰もが、死と隣り合わせで生きている、どこかでそれに怯えながら、真っ向から向き合うか、気付かぬふりをするか、あるいは本当に気付いてはいないのか、赤信号に足止めを食いながら、俺は明日の自分のことを考える、それがどこかで断ち切られない保証などどこにもありはしないのだ。



自由詩 カオス・アンド・ディスオーダー Copyright ホロウ・シカエルボク 2021-08-01 18:32:42
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