掃除
山人

 数日前の日曜日、めずらしく一日中掃除をした。夏の初めと晩秋に行われる保健所の巡回のための掃除である。年に二回、保健所職員と食品衛生指導員が各営業施設を見て回る。基本的になぁなぁな巡回でしかないのだが、一九九四年十一月開業以来今までずっと受け続けている。
 考えてみれば、もう二十七年になろうとしてるのだ。バカの一念と世間知らずと、短絡的で衝動買いのようなノリで始めた家業だった。妻の希望のある人生を踏み倒し、我を通した結果が今であるわけだが、それが罪だとすれば償いようがないだろう。
 安いcdカセットにディスクをセットすればおおかた一時間弱で終わる。それが終わるまで各所を磨く。コンロの焦げを擦ったり、ステンレスの錆を細かい金たわしで擦ったりすると、床に錆びの汁や、焦げて散らかった鉄くずが飛び散ってしまう。掃除をしつつ、自分のまわりを拭いたりし、トロトロ作業する。いったいこんなことをやって、いつになったら終わるのだろうか。しかし、徐々にではあるがきれいになっていく。あそこが終わり、此処が終わる。そして、聞きなれた音源も最後の曲をむかえ、ディスクが終わると厨房には静寂が訪れる。あと、もう一回聞こう。そんなことを繰り返し、午後三時まで行なったが当然まだ終わらない。もう六時間も同じ掃除をやっている。いい加減飽きてくる。
 休み明けの月曜日の夜明け頃、登山口の管理棟の掃除とトイレ掃除に向かうのだが、月曜の朝は何かとバタバタしなければならず、気分転換に向かうこととした。
 ネズモチ平登山口の大駐車場には雨にもかかわらず、二台の車が停まっていた。ヒメサユリという花愛で登山の適期でもあり、六月下旬ごろから山は流行った。まだ七月のはじめなので、天候に関わらず人が登っているのだろう。
 管理棟内の一室には、パイプ椅子が使いっぱなしであちらこちらに散乱し、床は泥や何かの生き物の死骸が踏みつぶされた痕跡があった。女子トイレにはコバエが喜んで飛び回り、ボーリングのピンのようにトイレットペーパーの芯が並べられている。なぜか、男便所にはコバエがいないという謎についてはまだよくわからないが、トイレの使用頻度の違いによるものだろう。
 デッキブラシや、便器ブラシ、ホウキ、水切りなどを使い、汚れを掻き落とす。汚い場面が綺麗になる。作業が終わりを迎える時にどこか冷風のようなものが胸を通過する瞬間がある。それが達成感などと呼ばれる俗っぽい感情なのだろう。用具置き場の鍵を締め車に乗り込む。なにか、ぼそぼそと独り言を言ったような記憶があるが、どんなことをしゃべったのか覚えていない。
 浅草岳の二重遭難事故で四名の方々がブロック雪崩で死亡したのが、二〇〇〇年の事だった。現在の大駐車場からさらに数キロ上まで当時車で入ることができ、多くの登山者たちの車が狭い林道ごった返し、いつ事故が起きてもおかしくない状態だったころの事故である。以降、そういう意味合いも含め、雪崩崩落事故付近まで許可なく車乗り入れができないように、数年後ゲートが設けられ、その手前に大駐車場とトイレ付管理棟施設が建設された。その管理は地元民宿旅館組合に委託され、私が即行に手を上げたという経緯がある。その建設は二〇〇一年にすべて完成し、二〇〇二年から解放されたと記憶している。以来、足しげくこの登山口に通い、今に至っている。掃除は管理棟掃除だけにとどまらず、二つの山の管理や除草も行う。山全体を掃除しているのかもしれない。
 家に帰り、ふたたび掃除の続きを行った。cdを交換し、主に拭き掃除をした。私の厨房は十五畳あり、狭い宿ながら厨房の広さだけは他宿に負けていなかった。これは開業からしばらくは、手打ち蕎麦店もやっていたからであり、厨房の一角に巨大な麵打ち台が居すわっているのだ。この台は滅多に使うことがなく、最近はモノ置き場になっている。麺打ち台の下のスペースも物入になっていて、いろんなものが雑多に押し込まれている。掃除をしつつ、不要なものを捨てたり、探していたものが見つかったりする。掃除は好きではないが、そこから得られるものは少なくない。
 おおかたの掃除が終わり、記録簿の記入作業を行った。食品賠償共済に入った証明、食品衛生協会講習会出席実績、検便の実施、冷蔵庫や冷凍庫の温度管理、各所の掃除や手洗いの有無、食材の管理状況など、すべて〇をつけまくって終了。これらの記録簿を開示することが義務付けられた。これら保健所関係のほか、年一回は消防署の立ち入り検査も行われ、そこで不備なものは適宜改善しなければならない。
 法は緩むことはなく、どんどん加速される。規制を厳しくする部分、緩和する部分、色んな思惑がごった煮のようになってしまっている。先のことはわからない。偉い人の思惑など知ったとしても弱者に如何こうできるものではない。とりあえず、明日のためにやれと言われたことをやるしかないのだろう。やれないわけではないのだから。
  


散文(批評随筆小説等) 掃除 Copyright 山人 2021-07-08 06:58:02縦
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