にんにく
アラガイs


我慢し過ぎるというこれも眠りには良くないようだ。 失意は立案の乏しさを今さら悔やんでも仕方ないのだが、委ねた事への憤りはいまだに収まらない。 もう少し道幅を広く取ればよかったとか、遠慮してカーポートの屋根を短く切った。しかもよけいに高くしてしまい雨避けにもならない。 思いやりもときには嫉妬へとつながる。憎々しいが教訓でもある。  土臭う夢の中で、にやりと皺を寄せた老人が鼻声を立てながらしゃしゃり出る。決まって便秘と下痢を繰り返すのは、同じように醜悪だと認識しているからだろう。狭くなった駐車場から何度も切り返して車を動かすというのは実に忌々しいことなのだ。 忌々しいといえば小うるさい雀たちが、田畑や庭付きでもないこの隣接する界隈を住み家にしているという、ほら!今日もまたボンネットの上に黄な粉の塊を落として知らんぷりだ。身から出た錆。無人に、とは況んや。  しばらく放って置いて腫れあがると今度は歯周病の菌も増すばかりで、ほら、あの臍のゴマと強烈な匂いは似ているのではないか。無気味な話。 以前ならば小鳥たちや雀の鳴き声は朝の気配を清々しく迎えてくれていたはずなのに……がこれは囀りにもよるのだ。といういまのわたしの心境がそう感じさせてしまうので、どうやら身を削られてねじ曲げられた思いの強さに甚だしく囲われていて、早朝からバイク便の音に反応しておしゃべりをする鳥たちはラジオ体操にお年寄り。 忌々しい。 忌々しいが誰の庭でもない、これもまた教訓なのである。  痩せ細る草地の境界線を一束につなぎとめるのはくたびれたロープ、それとも張られたラップなのか……巻き取れずに苛々していると土の中から強烈な匂いを拡散させて這い出してくる姥虫がいる。堪えなければならない。  一日はドアの外に香水を吹きかけて歯磨きを終えたところからまた繰り返される、という構図から始まるのだ。



自由詩 にんにく Copyright アラガイs 2021-06-08 04:37:29
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