バスが来る文体
コーリャ

やはりまず書くことが大切なのだ。例えばきみは、詩を書こうとしている、お話を書こうとしている、批評を書こうとしている、哲学を書こうとしている、文字を書こうとしている。言葉は、始まりがあって、終わりがある。それは序列になっている。それは過去と未来がある。それは出来事である。それは身体を伴うことである。それはバスを待つことに似ている。冬は終わろうとしている。向かいのホテルのバルコニーでは酔っぱらいの男女が笑って話している。隣のおじいさんは家に電話している。過ぎ去る学生たちが異国語を話している。いつかバスは来るだろう。そしてきみは、バスに乗るだろう。過ぎ去るカップルが異国語を話している。隣には水を飲むダブルデニムの男がペットボトルをポッケにねじ込む。向かいのゴミ箱にはたくさんのガラクタが捨てられる。春が地平線の彼方に待っている。バスはまだ来ない。未来はそこに行くまで来ない。それは身体を伴うことである。それは出来事である。冬は寒くてみんな震えている。でももうすぐ春が来る。ぜんぶぜんぶ始まりがあって、終わりがある。きみは文字を書こうとしている。哲学を書こうとしている。批評を書こうとしている。お話を書こうとしている。詩を書こうとしている。


自由詩 バスが来る文体 Copyright コーリャ 2021-05-30 08:40:02
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