メモ5.19
道草次郎
たくさんけずったら、のこったのは腹ぺこ。咀嚼し、嚥下し、胃をふくらます。その一つひとつが、その一つひとつに奉仕をしている。
ひつようの土からでないと、なかなか生えない満足の木。そういうふうに捉え、刻々の漏洩をふさぐ。
やがて、たくさんけずることすらしなくなるのか、どうか。それは、わからないけれども。
ある種の目標は、とっちらかったままシンプルに生きることかもしれない。それは、難しい。そして、それは難しくていい。そうやって、いつだって観念することだ。
観念には、二つの意味があることを、今、知った。
至ったときには、すでに、すぎさっているので概ねいつも害のないやさしさをさがしている。
ふるさとの動物園は入園料をとらない、思い出せ、淵にいて落ちそうな時は。
してきたことがみんな、恥ずかしい。いや、それらをどう思っていいか、じつはわからない。
あるくと、過去の水位があがる。私が氾濫し、汗が今にしみる。「こんにちは」と、何気なく云ってみる。声帯。産まれてまもないそれが、無惨にも初夏の餌食になる。
そうだね、わからない。現代詩フォーラムも復旧した。相変わらず履歴書はつっかえされ、やすいブラックコーヒーを買うことがふえた。
汚いベンチのせいで不快になり、美しい躑躅の枝をあやまって切ってしまう。トイレの一輪挿しが華やぐ。ひとときと地続きの無窮、それとともに。
耳鳴りがする。日々がすぎる。空の目張りが剥がれ掛かったところに、巨人の指。
散文(批評随筆小説等)
メモ5.19
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道草次郎
2021-05-19 03:08:36