底のない浜から
アラガイs


 高台から遠浅の浜を眺めると波の照り返しには目が眩む。
鰯の群れを追いかけて飛沫をあげるスナメリが、
                    ハセイルカの一団を連れてやって来た。
小屋の喜三郎は日の出前に仕留めたミンククジラの解体に追われ手も脚も出せなかった。
  ( わりゃあ こげんときにかぎって来くさるのう ) 陽の潮に引かれ波は落ち着きを取り戻していた。
喜三郎が肉を板に放れば米蔵がそれを束ねる。それを竹籠に盛ると交代で担ぎ浜を駈けあがるのだ。
  なんともいえない塩味の薄さに舌の感覚が麻痺してしまったようだ。弱々しい台所の椅子に腰掛けて考えている。海図を探索してもアサリは獲れないだろう。いや、直に貝を獲ろうとすること自体を人々は無益な事だと思い込んでいる。長い入院生活を経験すればそれくらい弱気にもなるものだ。
泡が湧いて小さな穴からミル貝が塩を吐き出した。挟みを挙げたまま石牡蠣の割れ目で動かないワタリガニ。それを白鷺はじっとみつめていた。置き石から釣り竿を上げれば腐りかけたナマズ。その日は経験のない珈琲の苦い味がした。 
底のない時代、丘や海にも多数の生きものたちが安楽と蠢いて、陽と陰を二分していた。
いつまでも辿り着けないと思い込んでいた蜃気楼。あの頃は水平線に直線を重ねて定規にしたものだよ。とは喜三郎から受け継がれた合言葉。近くに無いものは遠くにも無いものと思え。ふと、透明な影が指して
そういえば崖の淵には宮殿のような白亜の建物が内海を見下ろしていたはずだが、 ( トルル トルルウ ) ママ~誰か来たよ~ 
 深々とした厚みのあるソファで脚を組み、物思いに耽っていた黒い夫人が立ち上がる。 立ち上がると夫人はテラスに出て浜を眺め、潮風の、それは空耳だと確信した。
小石を拾うと後ろから振りをつけておもいきり投げつけた。材木が積まれた空き地に向けて、100yardくらい小石は飛んでいっただろう。 
田が埋まり、畑はアスファルトに固められ、崩れ欠けた防波堤の下、ハマナスが咲いた季節にも春はやって来ていた。
引き合う電線の面影と、向かい合う住宅の壁は波に消されて、
 丸く、虹の翼を持つ灯りに支配された空の闇。喜三郎と米蔵が獣臭い鼻をつつき合う。
せめてもの救いは誰も居ないことでしょう、と暗喩に装い雲が語りかけてくる。刻は何を比喩するものかと。
いまも下水道は流れて、すぐにでも大地が動きだそうとしている。貝殻は羽根のない鷺を着る。
 忘却と、海の底は帰る場所を探している。


自由詩 底のない浜から Copyright アラガイs 2021-05-17 03:31:27
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