ガラスの精進
ただのみきや

アンテナの上
カラスがめずらしく寒そうだ
度を越した愛撫
風だけがご満悦
抗いながらも抗えず
樹々もさんざん掻き毟られる
その有り様を見て見ぬふり
家々の窓はぬらっと景色を滑らせる
――カラスが屋根から千切れ飛んだ
「もうどうだっていいや 」
ガラスのこちらではガムランが
雨漏りみたいに続いている





小さな文字で手紙を書きました
あのモンシロチョウを捕まえて下さい

一年の中で
恋人みたいに寄り添ってくれるのは二人
初夏は初恋
初秋は別れの予感
あとの女神は冷酷無口か
陽気な鼻歌で生死を着飾るばかり





気づかずゆっくり壊れること
疑心を霧の中に置き忘れたまま





短くなった鉛筆がある
すでに多くを失った
残りわずかな鉛筆が
何文字書いたろう
あと何文字書ける
どれだけの言葉と
おまえは自分を置き換えたのか

古びた心臓よ
虚しく時を刻みながらも
なん度高らかに打ち鳴らされたことか
再び鳴り響くことはあるか
砂時計の砂のように
次第に質と量を見失い
炎に変わる一個の林檎




*脱人力

ブランコを漕ぐのは難しくない
いつからか記憶にないほどすぐに会得した
自転車を漕ぐのには練習が必要だった
それと少しの勇気も
ボートを漕ぐのはあまり上手くない
人生で十回も漕いだろうか
どれもこれももう何年も漕いでない
棺桶には帆を張ろう
サイコロを振るように
見つけられれば歌うだろう
見つけた者の言葉を通して





割れたガラスは尖っている
割れる前と同じで澄んだまま
太陽に影響され過ぎて
形も忘れて燃え上り
道端からギラギラねめつけるが
夜には素に戻る
暗闇と自分との境はどこだろう
自分はいったい何なのか
そんな問いがそのまま答えだと
感じ始めたころ
少し円みを帯びる
あるいは木端微塵
そんな微細な欠片の前で
蟻が触覚を整えている
鏡に映った己を複眼で捉えては
ガラスの向こうにある
形而上の光の迷宮
宇宙の時間を遡る
「原因とは結果である」
ガラスの太陽に焼かれながらそう思う





よく晴れた金魚鉢だ
視線に喘ぐ
魚たちの息は燃え
溶け混じる顔 顔
顔の中の螺旋を
金魚は球になる
わたしの心臓のよう
見開いたまま何も見ず
一点の死角へ
仰向けに身を投げる
花のような問いが
輪廻する
指先から虚空へ
震えながら逃げて行く
冷たい波動





雲雀たちに混ざって空の何処かで
蛙が鳴いている
そうした蛙の青い影だけが
植え込みの水仙に見下ろされ
ゆっくり泳ぎ出す
添えられたルビが
寒天質の渦を巻いた
神殿の周りは黒焦げで満ちていて
ヒマラヤのような頬骨から
火の付いた朝刊が配られていた
雲雀たちは雲にすっかり溶け
巨人たちの脳も雲に溶けている
神々の持っている物差しより
彼女の比喩は冗長だったから
わたしは胡桃を割って
欲望の雛を盗み出すしかなかった
それに手足が生えそろう頃
乾いた祈りを喉に詰め
菩薩のような顔で窒息した
蛙の声だけが
ピアスのように唇から離れなかった
天気雨に包まれて
稲光がノイズを呼び起こす
空の何処かで輪になって踊っていた
真っ赤なオタマジャクシの群れが
いまチューリップを食べ散らかす
日差しが歪んでいる
片えくぼの生贄のように





――見つけた
なんにも見てはいないけど
――辿り着いた
どこにも行ってはいないけど
一輪の花だ
花は大地
花は海で空
存在の真空にゆらめいて
共に消え果てる
宇宙の
実で質でもない様相こそが





口を縫い付けられた男の目配せの先
砂漠を渡る蝶がいた
青白い鬼火のように
箱の中の女から蜜を吸う
一冊の本から発芽した
肉体は火と水を合わせ持ち
目隠しのまま止めどなく揺らめいた
大きな腕時計が示す角度に
少女の頬のように熟れた惑星があった
脳天から真白に裂けて
雲の上の地獄から結婚が落ちて来ると
地面は白い粉に変わって抜け落ちた
厚みのない文字を
はじめて真横から見ていた
コールタールの闇が
どこまでも
落下のような静止が
続いていた
眼差しの奥から溶け出した夜が
男の口の中
羽化する夢を見た
ことばはたぶんわたしだ
女のアバラに編み上げられた蜘蛛の巣も
棘のある愛欲の蔓草も
すべてわたしだった


                《2021年5月16日》









自由詩 ガラスの精進 Copyright ただのみきや 2021-05-16 14:39:25
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