中学時代の風景を行く
番田 

去年、僕は確かに歩いていた。故郷の、すでに忘れかけていた風景を。僕はその、ぼやけた記憶をたどるようにして、歩いていたのだ。そして、仲の良かった友達と日の暮れるのも忘れて、遊んでいた道を。でも、もうすでに、遠くに見えていたはずの友達の家は、同じ場所に違う建物に建て替えられていた。あの頃とは僕も少しだけ違う顔で、大人びた格好の服を着て、同じ場所に立っていた。その友達も中学に入ると、小学生の頃とは外見も性格も変わってしまって、もう、遊ばなくなってしまったものだった。僕には少しばかりの、中学に入ってもあまり変わらなかった友達がいつも周りには立っていたものだったが。僕はベランダから見ている時の、ただ、そこにあるがままの校庭の風景が好きだった。時々、僕は自転車をこいで、隣町まで出かけた。ディスカウントショップは、自分の街にはなく、そこにしかなかったからだ。僕はそこでビートルズの二枚組のアルバムを買った。それはオムニバスで、正式にリリースされたものではないアルバムだった。作品を色々聴いてきたが、その時にディスカウントショップで買った変なアルバムが一番良いと思えるのは不思議なことだ。CDの中からキラキラした音を、昔のようにビートルズは僕の耳に今でも聴かせてくれる。


散文(批評随筆小説等) 中学時代の風景を行く Copyright 番田  2021-04-23 01:13:56縦
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