四月
はるな


あちこちで花が咲いてしまった。もう少し待って欲しかった。
ま新しいランドセルを背負ったむすめは、昼にも夜にも、こわいと言うようになった。わたしは(どうしてそんな愚かなことをと思うけど)なにが?と聞いてしまったのだ。彼女はほんの少し絶望したと思う。
(多くの子どもたちがいとも簡単に絶望するし、そしてわたしはもう子どもではなかった。)

朝、小学校の校門のところまでむすめと一緒に歩いていく。おそろいの帽子を被った人々の流れ(もちろんわたしは被っていない)。そして校門を入ったところにはいつも校長先生が立っている、はきはきと挨拶をしている、門は開かれていて、昇降口の上のある丸い時計はいつも大体同じ時間をさしていて、生徒たちはたくさんいる。わたしだって毎朝ちゃんと新しく怯んでしまう。その中に入っていかなければならないむすめのことを少しあわれに思いさえする。でもむすめはちゃんと歩いて入っていく、泣いたり、堪えたりしながら。むすめがなにを考えているのか、どういうふうに物事を感じているのか、もうわたしにはわからないのだった。

この春は鉢植えの球根を悉く枯らした。
家の中で泣いているあいだに、蘭も、羊歯の鉢も干からびて殺してしまった。
水をあげすぎて腐らせてしまうことは何度もある。わたしには、世界に対する加減というものがいまだによくわからないのだ。ずっと痛くて、痛いままいたから、痛くないのがわからない。わたしの皮膚は擦りむけつづけて分厚くなってしまった。むすめが生まれた時、こんな薄い、柔らかい皮膚に傷だってつけちゃいけないと思った。だから転ばないように抱いて歩いたし、手をぎゅっと繋いだ。そのくせ勇敢であれと願ったのだ。

ともかく起き上がって枯れた鉢を整理していると、自分の手指がどうにも冷たくて、「もっとそとを歩くのよ」と言われたことを思い出し、まちをうろうろする。わたしが家の中にいるあいだに、花はどんどん咲いてしまう。重たいのか軽いのかわからない足を動かすには季節はどうにもまぶしすぎる。感覚というものが肌のうえに剥き出しているような心地で、風が吹くのにも、知らないこどもが笑うのにも、日ざしが、道路に影を作るのにも、いちいち極まってしまうのだった。


散文(批評随筆小説等) 四月 Copyright はるな 2021-04-22 13:01:26
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