今日からは道の駅には寄らない
山人

 昨日。朝からの雨と風で、もしかしたら最後の勤務は営業休止になるのかもしれない。と、スキー場勤務最終日を期待したが、営業休止の連絡の電話は鳴らず、今シーズン最後の道の駅で時間をつぶすことにした。三月に入った途端、県道と国道の排雪作業は一旦中断されたのか、交通誘導員の軽自動車が見られなくなった。加えて昨日は日曜日で雨。山愛好家の登山者の待ち合わせの車もない。いつものダイドーのコーヒーは私が買うのを待っていたかのように、売り切れにならず購入可となっていた。駐車場の近くの杉の木が風で少し揺れているが、さほどでもない。多少リフトの風の警告ブザーは鳴るだろうが、営業休止となることはないだろう。辛く厳しい冬だった。最後の一滴の缶コーヒーの液体を喉に落とすと、時計は七時半を指した。
 昨日の営業最終日は、人員不足につき、別なペアリフトの山頂番勤務を命ぜられ単独勤務となった。みぞれ交じりの天気で、客の入りは少ないと思われたが、予想通りの入込だった。混み合う日は、頻繁に表に出て、客のレベルに合わせ減速をしたり、転倒した客は事故防止のため速やかに非常停止ボタンを押したりと、殺伐とした忙しさであるが、昨日の最終日は客足も極めて少なく、ほぼ山頂小屋に入り浸りで過ごした。
 私より年配の男性が、一生懸命不整地の練習を繰り返す一方、スキーに嵌り始めたと思われる若者もそこに身を投じトライしていた。これから、まだ先のある若者と、もう先が見えている年配の男性が同じ斜面にチャレンジしている様は、何かとても新鮮で微笑ましく見えた。そこに、年配者男性の人生や若者の置かれている「今」は欠如し、ひとつの不整地斜面目掛け、そこを攻略することだけに意識が注がれているという事実だけがあった。新鮮で微笑ましいとともに、神的で、ある種の美しさをも浮き立たせていた。
 暇な長い一日が終わり、社長と支配人の話があった。コロナ禍という事もあり、慰労会は実施されず、代わりに全従業員に一万円づつ一封された封筒を受け取り解散となった。重く暑苦しい、スキー場のウエアーを返却し、殻を脱ぎ捨てた気分だった。

 朝、昨日までの残り香のような雪がちらついていた。長い辛い冬だったし、決して納得できる仕事内容ではなかった。でも、その時その時に私は必死に食らいつき、教えを乞い、まさに虫のように動いた。これ以上、自分に何ができただろう。一回のミスで、ずっとやらせてもらえなかった作業も今月に入り、さほど苦労なくできるようになった。このことが私にはとてもうれしく思え、それなりに自己満足を得た。もちろん上司や同僚の、私に対する評価など期待していない。それよりも自分自身への納得が唯一無二であると感じる。
 今日は休み。明日からしばらく、変則的な元の職場での勤務となる。
 
 遠い国の森のジャングルで裸のまま、ふるえながら木の袂に隠れて身を寄せていたような、あの、道の駅はもう消滅した。


散文(批評随筆小説等) 今日からは道の駅には寄らない Copyright 山人 2021-03-15 08:07:18
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