自殺衝動
にょすけ


  
 【この道が地獄であれと願った】
  
 この道が、このまま進んだ先に地獄であれと
 そう願った。願わずにはいられなかったのは
 わたしの右ポケットにあるたった一つの飴の
 包み紙が、くしゃくしゃと潰れながらまるで
 きみとホテルを出たあとのゴミ箱みたいだっ
 たからだ。なんてことは無い笑顔で、おなか
 が空いたなんていうきみの。右側だけ釣り上
 がった口元が、心底愛しくて。何度もその唇
 を、冬の空の寒さを理由に奪ってやりたいと
 そう願ったことだろう。街が次第に色づき、
 もういっぱいの人がこの景色の中を動き始め
 ホームのひんやりとしたベンチにこしかけな
 がら、あまり美味しくもないコーンスープで
 腹と心を満たしたわたしを、嘲笑う。こんな
 ことならいっそ、君の手で殺してくれと希う
 ことができたなら、さぞかし人生はもう少し
 派手な色で彩られることだろう。かじかんだ
 手を左ポケットに入れながら、ならない電話
 をカイロがわりに、今日という日を祝福する
 この道が、どこまで続いても地獄であれと、
 そう願うのは、あなたの「愛してる」はそう
 言う意味があるんだって、気づいたからだ。
  
  
 【いきるきりょく】
  
 生きることも死ぬことも簡単に隣り合わせにある
 そんな分かりきったことをようやく知ることがで
 きた今年は、いつもの年よりも沢山の人達が死に
 そして世界は大きく変わってしまった。あのビル
 が崩れたときよりも、もっともっと大きな衝撃が
 私にも、貴方にも、貴方以外の誰かにも深く深く
 刻まれてしまって。私は長年欠かすことのなかっ
 たスマートホンのゲームアプリの、ログインボー
 ナスをはじめて受け取り損ねてしまった。吐く息
 は、去年と変わらず白く白く続く。世間は年末だ
 と目まぐるしく、忙しく、駆け抜けている。私は
 どこかで落とした時計の短針をさがすみたいに、
 今ここから、どこかの臨界点までを右往左往して
 今日という一日のことしか考えられないのだから
 取り残される、置いていかれる、死ぬこともせず
 生きることもしないで、私は今、今日をむかえる
  
 【タオルケット】
  
 部屋の温度が10度を下回ったところではじめて
 エアコンをつけるかどうか迷った、リモコンには
 君の亡霊がとりついていて。肺に刺傷を増やす。
 血を吹き出しながら倒れ込んだ愛は、私の布団に
 ゆるやかな死の宣告を遺して、君の事ばかり考え
 会いたいと泣き叫ぶ私を浮き彫りにしている。愛
 が君に見つかってしまわぬように、タオルケット
 で身体を包んでは、夜な夜なできた布団の洞窟で
 涙を流している滑稽な私をどうかどうかどこにも
 連れ出さないで欲しい。君だけがこの部屋に体温
 を運んで来てくれたらいいのに。カビくさい風が
 窓を結露させる。まだ今年は始まったばかりだ。
  
 【セックス】
  
 日本神話の神様がしたような純新無垢のセックス
 がしたい。僕のからだも、心も、思考もすべて、
 世界中の排気ガスに漬け込んだみたいによごれて
 ひどく痛々しいにおいを放っている、浜に打ち上
 げられた鯨みたいなものになっているのは、もう
 わかっている。ただ尖った鋭利な僕と、やわらか
 く、なんでもかんでもを、受け止めんとする君の
 浅く、甘い匂いを放つ、びしょ濡れの穴に、この
 無我夢中の塊を注ぎ込むような、ただそれだけの
 ただそれだけのセックスだ。なにも恥じることも
 嫌悪することも、隠すことも無い。愛すらもない
 原始的な気持ちでいられたら、もう、この世が、
 終わりを迎えたって、嫌な気すらしないんだよ。
  
 【魑魅魍魎】
  
 指し示したかのように崩れ落ちたそれを
 人々が愛だの恋だの名前をつけはじめた
 その光景を僕はまるで妖怪大戦争に似た
 面妖なぬらりひょんが蜘蛛の子を散らす
 みたいに人々を吹き飛ばしているようだ
 と胸を高鳴らせながら、この気持ちに、
 まだ名前をつけることが出来ないでいる
 皆の瞳に映る魑魅魍魎達を捕まえられた
 ら、さぞかし心地のよいことだろうよ。
 いつまでたっても、文字は化け物じみて
 画面の端をうごうごと蠢いている。ああ
 、息づいている。愛だとか、恋だとか。
  
 【蛍光灯】
  
 着信音が耳に入らぬよう、携帯電話の電源を切る。
 約束の地に君は居なくて、君の形に皺が寄ったシー
 ツをどうしても伸ばせなかった。手を添えた時の手
 の平の温度だけは、あの部屋に残っていて。ちかち
 かと切れそうになる蛍光灯が光る度に、修学旅行の
 集合写真を思い出す。捲られたページの端にいる君
 と、手を、繋ぐ妄想をしては。耳障りな着信音を思
 いだす。ぷるる、と音がなる度にそこは現実だ。ち
 かちかと光が切れる度にここは現実だ。君の居なく
 なった、誰にも変えられない現実そのものなのだ。
  
 【もしも僕たちがすべての元凶なのだとしたら】
  
 いっその事世界中の不幸がこの身に降り注げ
 と願った。明け方のまだ白み始めた空を眺め
 焼けただれた喉を抑えるように僕だけがこの
 世界で不幸なのだとうそぶいている。そうあ
 れば、大手を広げて弱き者を演じる事ができ
 そうすれば、なおそうすれば、こうして涙を
 流すことの理由にもなるだろうと。潰し損ね
 た空き缶はくずかごから溢れ、飲み干した酒
 はちっとも私を酔わすことはなく。もしも、
 もしも僕たちがすべての元凶なのだとしたら
 いっその事世界中の不幸がこの身に降り注げ
  
 【よるのとばり】
  
 明日は風が強いらしい夜中に回す乾燥機は
 僕が明日君に会うために着る服をほかほか
 に乾かしている。飛行機のエンジンみたい
 にごおごおと音を立てながら、夜の帳まで
 ひっぺがしているかのようだ。熱を帯びた
 筐体に頬をつけると、母の羊水よりも断然
 あたたかいことを知って、なんだか安心す
 る。安心している。明日の朝をこうして、
 暖かさを感じながら、迎えよう。街はまだ
 寒さから脱皮できずにいるのだから。君の
 ことを考えよう。君のことだけで、いっぱ
 いにしてしまおう。そうしていればきっと
 この温度は明日も続いているのだからと。
  
 【八百比丘尼】
  
 この命であなたが平和になれるならいいよって
 そう思ったから私は。あなたの好きなところを
 百個数えてみた。数え終えたらもっとあなたが
 好きになるかと思ったけど、ただこの胸の奥の
 鼓動すべき私が、ぎゅうと締め付けられるのを
 じんじんと感じてしまっただけだった。あかく
 染まっていく夕陽がすきと、海を眺めながら、
 話したことも、よく覚えている。あの頃はまだ
 笑顔が痛くなかったことも。どうして夕陽は、
 沈むっていうんだろう。ぐるぐると廻るだけの
 太陽を、私たちは自らの恋とか、愛にたとえて
 感傷に耽りたいだけなんだ。沈まないで、夕陽
 死なないで、わたし。この鼓動すべき私はもう
 潮のようにとけて、あぶくになっていく。ああ
 そうして私はこの恋が何番目なのか数えるのだ
  
 【炬燵】
  
 あ、
 その
 一声で
 窓が揺れ
 冬の風とて
 入り込む隙間
 びゅおうと鳴り
 君と目を合わすと
 ただ微笑む、きみの
 何もかもが愛おしいと
 冷めた珈琲がそれを告げ
 何度も舌を絡ませながらも
 その指はどこにも絡むことも
 触れることもなくがらんどうの
 僕の心だけは君にすべてあげるよ
 だから、だから、すべてを理解して
 理解して欲しい、何もかもを言わずと
 すべてを理解してほしいこの心だけは君
 にすべてをあげたっていい、あげてもいい
 なのに、なのに知られたくないこのこころは
 この心だけは知られたくないと藻掻くあがいて
 君にバレぬよう炬燵に潜り込む僕をどうか笑って。
  
 【自殺衝動】
  
 恋をしたかっただけであって、
 恋に落ちたかったわけではなかった。
 常磐線、八柱駅。
 つながらない電話と一緒に、私も落ちている。
  


自由詩 自殺衝動 Copyright にょすけ 2021-02-24 00:04:45
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