人生最大の闇 #3 【完】
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中学校は1年だけで不登校になり、病院にも自らの意思で行ったが、親戚の家に駆けつけてたりもしたが、説明できず。両親や自分の体調との戦いとのなかで、あの時はしのうと思った。というかそのつもりでいた。

一つ一つ、人の縁を千切るたびに、現実への執着がなくなり、まるでふわふわと浮遊して、なんの躊躇いもなく死に向かうかのようだった。

しかし、一つの転機があったのです。
それが「創作」であり「音楽」であり「詩」でした。

今でも当時のことを思いかえすと、まるで空白期間のようで本当に寝たきりで、というかあまり覚えていない、覚える程の記憶がないのだけれど、ただ一つ、当時残していた文章やメモや画像の記録があります。そこには、拙いながらに、一つ一つ、スマホで読んだ個人小説やネット記事を通して、「初めて聞いた単語」や「おどろいた言葉」などをひとつひとつ、メモして書いてました。

学校にも通えるほどの体調ではなかったし、両親の養育も十分に受けられなかったので、ただ持たされた機械やスマホを片手に、言葉を覚えていったり音楽を聴いたり創作を読むのが、楽しみであり痛みを忘れさせてくれるものになりました。

未だに、私はしっかりした本をあまり読んだことがなくて、いつも詩を書くときは、「丁寧な表現のある本」や「美しく高貴な文章」を読んでいるのではなくて、「ふつうの日常会話のなかにある人の言葉で、いいなあ〜と思うものが聞けたら、メモしている」それだけなのです。だから、拙いと思います。その辺は精進しますので教えてくださると助かります。でも、生活感のある文章は好んでます笑。

親の愛情は受けられなかったけれど、文化からの、そして文化への愛情は十分にあると思っています。スマホやゲーム、パチンコだとか、冷凍された食品や栄養価のないもの。今の現代文化はもしかしたら、ともすれば虐待に使われることもあるからこそ、「それがなければ親は虐待をせずに済んだかもしれない」「あんな目に遭わずに済んだかもしれない」という思いもあるけれど、そこで痛みや苦しみから救ってくれたのも同時に、「創作」「アニメや音楽」「詩や言葉」という芸術たちなのでした。恩返しがしたいと思っています。私一人ではとても、助力が必要かもしれないけれど。いつか一人前になって、みんなに「こんなことができるよ」って伝えたい。わたしにも光を与えられたり、守れたりできたら嬉しい。

ままならない闇の底の中で、ただ、ただ、心に秘めた、誰にも見せなかったオモイ。こんな話をすることで印象が下がるかもしれない、見向きすらされないかもしれないけれど、それも承知の上です。ただ、真実と共に生きて死にたい。私を救ってくれた音楽があるように、また今度は、私が言葉で伝えたい。

これは私からのお願いです。
もしあなたの身の回りに、食生活や体調で困っていそうな方がいらしたら、どうか責めず、声をかけてあげてくれませんか?
みんな、悩みを言えない人が多いです。あなたの気づきで救われる人がいます。あなたの言葉を待っている人がいます。そんなボランティアやらないよって思うかもしれません。
ならせめて、あなた自身に心や身体の調子で悩むことがあったら、どうか自分を責めず、優しくあたたかな声をかけてあげませんか?

あと一つお願いなのですけれど、お医者さんなど、有志の方がいらしたら、今の私の身体の状態を見ていただけませんか? そんなこと言ってる場合ではないのでしょうが、病院へのトラウマが両親との関係であるので、まだ行けていません。よろしくおねがいします。対応のアドバイスなどもほしいです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。みなさんの心身が安らかであることを祈っています。またあなたのコメントやお話など聞かせてください。

(話すところや投稿する場所を間違えていないかな?その点は分からないので教えてください。)


散文(批評随筆小説等) 人生最大の闇 #3 【完】 Copyright a i 2021-02-02 13:58:20
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