月世界の旅行者
ホロウ・シカエルボク

夜明け前、くすんだ窓ガラスは、まだ覚めやらぬ俺を映し、見覚えのない拳の傷、戯れに噛んで夢の名残を押しやる、退屈だけがいつも、上質に仕上がっていく、こんな朝にもう一度目を閉じたら、多分すべてがお終いに走り出してしまう、だから、俺の叫びはこうして量産されていく、知識と教養に任せて見栄えのいい言葉を並べてる連中には、きっと、逆立ちしても分かることはないだろう、こだわりを持つのは悪いことじゃない、でもそれは自分の為だけにしなくちゃいけない、ストイックを他人に強要し始めたやつは、もうそれ以上先へ進むことは出来ないよ、窓を開けて、シャツを脱ぐ、震えが止まらなくなるまでそうして、時雨交じりの風を浴びている、時折そうしてみないと身体が麻痺してしまう、すぐにも外へ繰り出してみればいいのだけど、まだそんな気分にはなれない、だからこうして今日をインプットする、震えながら服を着て、簡単な朝食を作る、スペースを占領するでかいテーブルを手放せないのは、なにも動かさずに食事が出来るからに他ならない、利便性とミニマムは必ず仲良しなわけではない、イデオロギーに延髄の皮を持ち上げられて振り回されている連中にはそのことが分からない、近頃の持たない主義にどうこう言う気はないが、ひとことだけね、捨てることと片付けることはまるで違う、断捨離だのなんだのには、過去を気にしない女のような愚かさを感じるよ、そこにはまるで学びや責任というものが感じられない気がするんだ、なにもかも押し入れに突っ込む代わりに捨てているだけじゃないか、俺は滅多にものを捨てない、あれこれ試してみれば、ものに囲まれながら快適に生きることだって出来る、模索こそが重要なファクターなのさ、本棚やラックの使い方はひとつではないことを、生活の中で学んでいくべきだ、すべてを抱え込んで生きるんだという覚悟の示し方だ、どうして楽な方にしか流行は動かないんだろう、世の中はいつしか、誰も何も持論というものを持たないゼリーみたいな流動体になってしまうのかもしれないな、水のような清らかさはないんだ、どろんとしてさ、よどんだ感じなんだよな、朝食の皿を洗う、フレームだけの皿置きが好きだ、明快なスタイルだ、使い勝手を気にし始めると余計な要素が次々と詰め込まれる、便利さを追求すると、自由さは失われるのかもしれないな、いったいどうして、あれにもこれにも使えるものがたくさんなくっちゃいけないのか、そのどれかひとつでも的を射ていれば、陳列棚に並んでいるものはもっと少なくて済むはずだろうに、コーヒーをもう一杯飲む、二杯目を入れる時にディランの歌を思い出すのはクセみたいなもんだ、インスタントコーヒーは安くていい、安くてでかいのが一番だ、ネスカフェだけは選ばないけどね、ユーチューブで格闘技やロック、それにポエトリー・リーディングの動画を見ながらのんびりしているともう午前が終わり始める、用があるわけでもないのに着替えて街に出る、本屋を覗いて何冊か買う、本屋を歩くのは好きだ、そういえば、去年あたりこの店で、ずっと店の中を歩き回っているだけのおばさんを何度か見たな、虚ろな目をしてさ、本には目もくれずにずっと歩いているんだ、何度か遭遇するうちに足音だけで分かるようになったよ、彼女はなにかを考えているのだろうか、その考えに脈絡はあるのだろうか、俺は彼女がそこを歩いている理由をずっと考えていた、仮に俺が脳味噌に支障が出るまで生きることが出来たら、彼女と同じようにこういう店を歩くかもしれないと思えて仕方がないのさ、ねえ、これは彼女の悪口じゃない、この世は無常なんだ、俺の家族の半分は気が狂ってる、いや、もしかしたら、もうまともに暮らしているのは俺だけかもしれない、でも俺だって決してまともじゃない、病院の世話になる必要がないだけさ、俺は店を出る、俺の精神がままならなくなったら、それは果たして俺なのだろうか、それはただ、俺の名前のついたどんなものでもないいきものにすぎないのではないだろうか?不思議としつこく絡みつくその日の考え事は、午後の早い街を歩く様々な人間たちをぶよぶよの肉の塊に見せた、やれやれ、俺は頭を掻いた、こんな一生の終わりもあるのかもしれないな、なんて考えながら自販機で缶コーヒーを買い、プルタブを引き上げると一息で飲み干した、ごみ箱に捨てて昼飯のことを考えながら歩いた、個性を狂気だと片付けてしまうのは確かにシンプルだ、でもそんな結論、どんなものも生み出しはしないよな。



自由詩 月世界の旅行者 Copyright ホロウ・シカエルボク 2021-01-15 22:29:02
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