〈証拠〉とは何か
一輪車

今回の米大統領選では組織的な不正行為があったとトランプ大統領とその支持者および
大統領選を見守ってきた識者の一部がマイナーメディアを通じて告発している。
それに対して世界の主要メディア、意識高い系リベラル、文人、詩人、批評家たちは
あらゆる媒体を使って、不正を証明する証拠などどこにもなかったと非難し、
不正があったと叫ぶ人たちを「カルト」「精神異常者」「極右レイシスト」などと断罪している。

さて、ここでわたしは〈証拠〉というものについて哲学的?な考察を加えてみたい。
「不正の〈証拠〉がある」、「不正の〈証拠〉などない」と言い争われるときの、この〈証拠〉とは
いったい何であるかということだ。
ある事象やモノ、コトが何をもって〈証拠〉として確立するのかということ。
あるモノ、コトを何をもって何人もが〈証拠〉として認めるのかということだ。
たとえばここにひとつの〈証拠〉がある。
ジョージア州の公聴会で明らかにされたものだが、
選挙投票用紙を机の下に隠しておいて、選挙員を追い出してから
深夜にこっそり投票の書き換えを行うという行為を記録していた監視カメラの映像である。
またしても我那覇真子さんのyoutubeを使うが、カメラ映像の説明を聞いてほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=FhnJQfO99zw&t=2695s

さて、この〈証拠〉映像はいわゆる証拠であるだろうか?
じつは、この映像は明らかに〈証拠〉ではあるが、わたしの思うに、このままではソシアルな証拠にはならない。
この〈証拠〉が社会性を得るには、つまり、これが〈証拠〉として社会的な認知を得るには、
この〈証拠〉に対して"被告"側から反論がなければならない。
反論があり、"原告"側がその反論を論理的に退けてはじめて社会性を帯びた証拠となる。
もちろん、反論ではなく被告側が正直に認めれば問題ないのだが。笑
蛇足かもしれないが、正しい証拠とはその内部に"反論可能性"(反証可能性)をもっていなければ正しい証拠とはいえない
とわたしは思っています。

さて、ここで大きな問題が生じてくる。
この〈証拠〉をだれもが黙殺したらどうなるだろう?
つまりこの〈証拠〉について誰一人として反論もしなければ相手にもしない、当然認知もしないし、いっさい検証をしなかったらどうなるだろう。
原告は〈証拠〉として確実なものだと考えていても、それがだれかから反論され
その反論がくつがえされてはじめてこの証拠は社会的明証性をもつのだから
その過程がないかぎり、いわゆる証拠としては存在しないも同じになる。
情けない話だが〈証拠〉といっても所詮は社会的関係性の問題なのである。

じつはトランプ側から提示された〈証拠〉についてバイデン側はいっさい反論していない。
ただ「不正などなかった」というばかりである。
オバマもクリントンも黙っている。
「選挙不正はなかった」というNHKも「なかった」というばかりでトランプ側の証拠についてはなにひとつ検証していない。
もしNHKがトランプ側の提示した証拠のひとつでも「検証」したらたいへんなことになる。
検証したうえで「不正はなかった」といった瞬間、その論証が事実と論理によって退けられたとき、
トランプ側の訴えが社会性をもつからだ。つまり、〈証拠〉でしかなかったものが
社会性をもってほんものの証拠になってしまう。

だから朝日も毎日もNHKもCNNも、いっさいトランプ側の提示した証拠を検証することはしなかった。
それは主要メディアだけではなく連邦最高裁もそうだった。「その案件は州の問題であり、
連邦最高裁が審議する事案ではない」といって審議することをさけたのである。
訴えを州に差し戻してしまった。
大統領選挙は連邦にまたがる問題だとわたしなど思うのだが州の問題であるから審議できないといって
避けた。苦しい言い訳だとおもう。
これはこういうことだとおもう。
もし最高裁がこの不正問題を審議すれば原告が勝とうが敗けようが
〈証拠〉を取り上げて検討し、結果、真実に触れなければならないからだ。
最高裁判事の漏れ聞こえる声によれば、判事たちはその真実に触れて採決することで
全米が二つに割れて社会的混乱が生じることを怖れたという。
つまり真実よりも社会の安定を選んだのだ。この選択の是非について批評的なことを語るのが本論の目的ではないので
スルーするが、
大事なことは〈証拠〉には
●反論可能性が内包されていること
●反論されることでほんとうの(つまり社会性をもった)証拠になる
という2つのことではないかということです。

ここでわたしが前に批判した江川紹子のトランプ支持者への批判を思い出してもらいたい。
反論可能性は皆無であった。笑 一方的な決めつけの言葉が機関銃のように発射されていただけであって
反論しようにも、そのとっかかりすらない。

  トランプ氏とその熱烈支持者は、分断を招く二元論的思考、
  陰謀論との高い親和性、現実を無視した独自の世界観、独
  裁志向といった従来からの傾向に加え、大統領選の敗北以
  降、過剰な被害者意識、極度の他責思考、目的のために手
  段を選ばないやり方など、その「カルト性」を高めてきた。

だれが、いつ、どこで、どのような がいっさい欠如した思い込みだけの発言だが、
じつはこれ、意識高い系リベラル文人、詩人、批評家、思想家、映画監督らに共通の傾向であって、
かれらはトランプ支持者が「不正」を訴える根拠となるかれらの〈証拠〉を
いっさい検証しない。
それどころか、みな一様に論理ではなく心理的な解説を展開する。
ある環境批評家なる人物は曰く。
「トランプを支持する人たちの共通の性格傾向性は.....云々」
ある心理カウンセラーはいわく。
「コロナワクチンを信用しない人たちの心の危険性....云々」
一度として、具体的に〈証拠〉を検証した上での反論など見たことも聞いたこともない。
〈証拠〉に反論するのではなく必ず意識高い系リベラルの、上から目線による人間分類がはじまる。
なぜなら、もしトランプ側の提示する〈証拠〉を取り上げて検証などすれば
一瞬にしてその〈証拠〉に社会性を与えてしまうからだ。笑
このような態度が政府から巨大企業、メディア、作家、詩人、批評家まで
一貫して貫かれている。内田樹、辺見庸のような自称リベラル文人、荒川洋治のような著名詩人のほとんど。
映画監督協会の映画監督のほぼ全員。etc....
.......このことの意味するとがなんであるかを考えればあなたはこの寒空の下で
氷いちごを十杯くらい食らったような寒さに襲われるだろう。笑

このような世界的傾向性は9.11事件から始まっており、コロナも米大統領選挙不正も
その線上にある出来事のひとつでしかない。これからはもっと怖ろしいことがはじまるのだが
それは見てのお愉しみということで、さて、おあとよろしいようで。

*じつは我那覇真子さんが動画で指摘した「不正」の〈証拠〉については、うっかり訴えられた人物が反論してしまいました。笑
「水道管、下水工事があったから皆を帰したのだ」
こんな弁解をしたがため、ネット視聴者がわれもとばかり調べてしまった。
結果、そのような工事の申請、あるいは工事の記録が公的に存在しないことが証明されてしまい、
この〈証拠〉は唯一、社会性をもってしまった。
ほかにも何千人もの宣誓供述書つきの告発がありますが、これらはNHKも朝日もCNNも政府機関も、
日本の意識高い系リベラルもいっさい検証しないで「不正はなかった」とわめいております。
それが一番安全な、しかしもっとも卑劣な非倫理的政治姿勢であるとわかっているのか、それすらわからないのか、
哀れな連中だとわたしはおもいます。



散文(批評随筆小説等) 〈証拠〉とは何か Copyright 一輪車 2021-01-11 11:38:20
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