かつて、相模大野で
番田 


僕は時々思い出すのだ。あの頃、昔、僕が歩いていた景色を。そして、休日に訪れた店の、やや歳のいったマッサージ師を。奥さんが台湾の人で、ピータンをふるまってもらったことがある。あれは、安アパートに暮らしていた頃の年末のことだった‥。僕は一人で、確かに寂しかったけれど。彼らにどこかで、またいつか、会いたい。僕は神奈川の相模大野で暮らしていた。友人が時々訪ねてきては、どこかへ、消えていった。少なくとも4人は訪ねてきた古い、僕のアパート。僕が料理をふるまっていたのは、一体、いつのことだったのだろう。良く、日がさしていた日の、昼間だった‥。学生時代のように、時々ゲームのコントローラーをにぎりしめていた。そして階下では、米兵が暮らしていた。JBLスピーカーの音がうるさい僕のことを迷惑がっていた。音を鳴らすと、時々彼は、出ていった。彼はインターネットで、アメリカの家族と話をしていた。僕と、でも、きっと歳は同じぐらいだったのではなかっただろうか‥。


駅からアパートへ向かう道の途中に、若い夫婦が経営している八百屋があった。彼らから時々そこで、イチゴを買ったりしていた。卵などは、期限が切れていたものを。若手ミュージシャンのライブ演奏を、駅ビルの構内で休日は見たりしていた。ただ、通りかかっただけだったことも、多かったのだが。若い歌手が、やはり、そこでは歌っていた。腐りかけのバナナの入ったスーパーのビニールを、そして、僕は抱えていたのだった。


散文(批評随筆小説等) かつて、相模大野で Copyright 番田  2021-01-10 01:44:45
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