越境推薦 <詩の日めくりに寄せて>
津煙保存



 <批評対象作品>
詩の日めくり 二〇一四年十三月一日─二十九日


スマホを見ながら歩いていると電柱にぶつかり、額にこぶができた。
雪道を歩いていると足を滑らせ、尻もちをついた。
ある風の強い日。ふわりと帽子が舞いあがり、どこかへ飛んでいった。
などなど。
日常のそこかしこに、さまざまな出来事があります。予測することのできない出来事。外部の働きと、予測不可能という能力とにより成立する現象。原因と結果。人に刻みつけられるそれぞれの傷の度合い、深度や角度、記憶のなされ方もまた異なるのでしょう。
事実が先にあり、人の認識は後となる。
明日のことはわからない、次に起きることがわからない。
AIやlotが発達し、サイボーグや監視カメラが管理支配する。サイバーパンクな、ブレードランナーなる社会が訪れようと、出来事そのものとの衝撃、衝突的な出会いをこれからも人は回避することはできないのではないでしょうか。
あれはいったいなんだったのだろう? 
あの人は誰だったのだろう?

   "だって人間だもの"

よくはわからない。太めの毛筆により、ヘタウマのような、荒々しいタッチで書かれた筆圧の強い黒い文字。ことば。

   "みんなちがってみんないい"

よくは知らない。あかるいリズムを持つことばのようだ。

10年ほど前。ネット上にて田中宏輔さんの『数式の庭。』なる作品を見ました。
詩 と呼ばれるものに対する認識を一変させた作品でした。表現し難い衝撃をたしかに受けました。フォルムの力、形式と呼ばれるものだったのだろうと。庭いっぱいに咲き誇ることばたち。詩文たち。
詩そのものとの、ことばとの出会い。そうした出来事。
出会いには、出会い方というものがあるのだろうと思います。

詩は思い出す
たくさんのひとたちのこころを慰めてきたことを

ごくわずかなひとだけど
詩に慰めを求めるひとたちがいることを

         二〇一四年十三月二十六日 「耳遺体」 より



わたしが日をめくる。日がわたしをめくる。一日一日の日めくり。馬があなたを駆け、あなたが馬を駆ける。ことばがわたしを綴り、わたしがことばを綴る。出会いと別れのように。
神や法とは日々そのもののことではないでしょうか。

 田中宏輔
 詩の日めくりシリーズ

お部屋に 玄関に トイレに
どうでしょう。





散文(批評随筆小説等) 越境推薦 <詩の日めくりに寄せて> Copyright 津煙保存 2021-01-09 19:19:50
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