ラピスラズリのスケッチ、他
道草次郎

「12月28日のsketch」

トンネルを抜けるとズレた周波数があった。ラジオ深夜便、ラピスラズリの火球は未明の空を横切った。

「ザザ…ザザザ、とある三歳の女の子がお母さんに結婚してとせがんだそうなんです。そして、結婚して大人になったら一緒に猫になろう!だって…」

家に着くとキッチンに着水。切った大根のあたまをガラス皿に漬けておいたのが、芽吹いていた。いつの間にやら、棟上げされた蘖の小屋。そこでは、陽は愉快な小人であり、小さきことは、善きことのよう。

思い出す、午前中の流れ星。
絵本に身を隠しオオカミになって話しかけたらオナラで返事をされたこと。逆さのマグをなおして口にあてたら、こぼれる太陽のようにわらったこと。星は、いつでもどこかの夜のよだか。ならば父も、いつでも何かの本の栞でありたい。

夜、枕をただし、いつもより僅かばかりおもむろに寝る。星。


「命脈」

いっとう屑の中の屑になり仰せ、おまえはおまえの湖となる。この聲も能面の手触りだ。おまえの系列は、うどん粉病を気にかけることと、ヴァレリーの歴史的神経とに架かった虹でもあるのだ。

咳をすれば、小鬼やら玲瓏の御影石やらがドシャっと出てくるが、痰ならば子規なのだ。だから、おまえの示準化石はやっぱりアンモナイトではない。それは、色褪せた青いプラスチック容器の化石かも知れず、若しくは無人島のような物置小屋の端っこにある、青黴に包まれた熟れ過ぎの柿なのかも知れない。

おまえはおまえが好ましい。食い食われ、蛇はだったらいったい蛇なのか。エデンなど無い、などと全方位からの鋭角な反射で、かえって高揚するエデン開発業者は、シナイ半島を占有したに違いなく、死海文書は或いはジョン・タイターの休暇に拠る所が大きいかも。

おまえは草。おまえはイタリア。おまえは時制。おまえはアイスキュロス。おまえは、おまえの右腕にとっての渡守に過ぎず、おまえの左手にしてみれば、おまえこそが崇拝の導き手だろう。

いっとう耀く為に、いっとうゴクゴクとくさりはてることで、おまえはやっぱりおまえの沼の瘴気を循環するCH4となりきるのだ。

なにか凄いことのような貌をいつもしているが、じつは周章狼狽によく似た粗忽者。寧ろ、ただ辺鄙な境涯の脇のドブ板の下のドブ。そこに棲みつく蛍光菌でさえ無い。それがおまえの血脈、おまえの石なのである。それを、知るがいい。


「太陽の匂いのする男」


彼は携帯電話を持っていなかった。いつも似たような洗い晒しのシャツを着ていて、独特の男っぽさがあった。まるで紫外線に焼かれたブータン人の青年のような風格を漂わせ、何処からか飄々と現われた。

陸上競技の実力者で県で何番目かの1500メートル走の記録保持者だった。だが、その事を鼻にかける気などさらさら無い様子だった。照準は常に自分へと向けられていて、日々、靴紐を結ぶのは全て昨日の自分を克服する為の行為。それが彼の言動からヒシヒシと伝わってきた。

一言でいえば、不思議な人だった。そして、皆からは変わった人だと言われていた。

彼は自分の世界を持っていた。容易にブレそうにない芯を、その体躯の真ん中に持っているようだった。それから、むけられた水のことごとくを、彼は難無く流す事ができた。返ってきてもそれは肩透かしか、思いも寄らない返事だった。沈黙を送って寄越すこともあり、そんな時ぼくは、内心、大いにたじろいだ。

ぼくには、彼のそんな掴み処の無さがじつに面白かった。

彼は地元の進学校を中退し、なぜかボランティア活動や陸上の審判の役割に精を出していた。アルバイトもしており、外国へ行きたそうだった。というか、行くことを想定していた。日本にはあまり関心が無いようだった。

また、別の違った一面もあった。ボランティア先では必ずと言って良いほど地元のテレビクルーや有名人と懇意になりたがり、一緒に写真を撮ってはそれを人に見せるのを恒例にしていた。スクラップブックをいつも持ち歩いていて、ぼくも見せて貰った。

彼はぼくという生温い風にビクともしない蒸気機関車みたいだった。黒い頑丈な鉄の塊が雪原を突進して行くように、彼はぼくを突進していった。

いかなる気分的な誘いにも軽々しく乗ることなく、首を横にふりたいとき時には、躊躇い無く首を横にふった。どのような経路を辿った感情も、彼にとっては風に揺れる街路樹のようなものに過ぎなかった。プラグマティックというにはあまりにも素朴で、求道者にしてはその眼差しをしていなかった。とにかく、掴み処が無いのだった。

たとえば、遠くを眺めながら不幸を経てしか得られない幸福の存在を仄めかしても、彼は競技場のトラックをいかにうまく走るかや、バスの時刻を気にする事をまず第一に優先させた事だろう。天井に設えられた巨大なサーキュレーターがゆっくりとその羽を回転させるように、彼は呼吸というものをしているような気さえした。

彼はどこか太陽の匂いがした。そんな、不思議な人であった。今、彼が少しだけ分かる気がする。ああいう人は、たぶん、世間には滅多にいない。歳月がいみじくもぼくに教えてくれたのは、ただそれのみだった。


自由詩 ラピスラズリのスケッチ、他 Copyright 道草次郎 2020-12-29 11:57:25
notebook Home 戻る