山田せばすちゃんショウたぶん番外のけたらその5 再びいつの日か酷評を超えて
山田せばすちゃん

山田でございます。
前回はスタミナ切れでと言う誤魔化し方で何とかお茶を濁してみたのだけれど、実はそこから先に進まないとあのままじゃただの俺の言い訳だけだったりしたような気がすごくしていて(最もこっから先だって言い訳に終始しないと言う保証はどこにもないんだけれど)すでに濁したお茶は宵越しのお茶になってるのだから、おばあちゃんの知恵に言われるように、そんなもんは飲まない方がいいんじゃないかと言う話もあるのだけれど、こっから先は、もしあなたがどこかのサイトに詩を投稿したところ、幸か不幸か酷評をしたがるろくでもないやつの目にとまっちゃたりなんかして、レス、感想に身をやつした酷評と言う名の不幸の手紙(笑)なんかが、果たして来てしまったまさにそのときに、さてその得体の知れない評者からの悪口にも見えかねない酷評に対して「詩人としての正しい立ち向かい方」(嘘)はどうあるべきかと言うことをお教えしたい、いや、遠慮はいらないからお教えしたい、間に合ってますと言われてもしたい、いやだと言ってもしたい、聞きたくないと言っても聞かせたい、とまあそういうわけで、今回もだらだらとした前置きとともに、山田せばすちゃんショウは始まるのだった。

(なお濁した宵越しのお茶の内容を知りたいと言う人はどうぞこちら
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=2513&from=listdoc.php%3Fstart%3D30%26cat%3D5
読んだついでに感動のあまりポイント入れてしまうようなことに関しては俺は一切関知しないから遠慮なくどうぞ、とかね)

さてついにあなたはさして望んでもいないのについに自分の作品が酷評されると言う立場に立ってしまった。この期に及んで「自分は何にも悪いことをしていないのに」「(あんたはともかくも詩を書いてそこに投稿したじゃないか)だとか「こんな目にあうのも三代前の先祖がきっとこの評者の先祖に何かひどいことをした因縁に違いない」(あんたの代でカルマ落しができてよかったじゃないか……しまったこれでは麻原彰晃になってしまう)だとかわが身の不幸を嘆く前に、まずその酷評を読んでみること、そこから物事のすべては始まるのだった。
と言うわけで読みなさい。

読んでまず確認しなくちゃいけないことは、この評者はあなたの詩について何をどういう風に語っているのか、それがあなたに理解できたのかどうか、と言うことだったりします。具体的に言うとするならば「こいつが何を言ってるのかわからないけれどこれが自分の詩に対する悪口であることだけはなんとなくわかる」だとか「こいつ何をすかたんな所に目をつけて、重箱の隅をつついて鬼の首とったみたいにはしゃいでいやがるのか」だとか「ちきしょう、悔しいけれどこいつの言うことはもっともだ」だとか、ともかくまずは酷評されているその内容が自分に理解できるのかどうか、それを冷静に判断するところから始めていただきたい。ちなみに一番最初は「わからなかった」場合の一例であと二つは「ともかくも内容はわかった」場合の例です。(ってそこまで言ってしまう俺って実は読者に対して親切なのか、はたまたこれがいわゆる慇懃無礼というやつなのかは、もはや俺自身にもよくわかんなくなってきたりなんかする。)

もしあなたが最初の例のように、酷評であることしかわからなかったならば、その批評に関しては無視すればいいです、忘れなさい、道歩いていたら野良犬にかまれた、その程度の不幸だと思って(笑)

実はこの場合にもさらに事態は二つに分かれたりなんかするわけで、読んでわかんなかったあなたが馬鹿なのか、書いてわからせることができなかったそいつが馬鹿なのか、多分そのどっちかに事は収まるわけですけれど、どっちにしたって、その批評は「今のあなたには必要がない」と言う一点において、無視してしまうに限ります。えてしてこういうときに「真面目な」、いや「素直な」、いやもしかしたら「馬鹿正直な」作者であるかもしれないあなたは、「なんか悪口が書いてあるけれどその内容が理解できないのはきっと私がお馬鹿さんなんだからだわ」などとその酷評のそこここに見える自分には意味のわからない難しい専門用語のように思える単語の数々(いや実際、書いてるほうだってそんな単語の意味をわかってつかってるのかどうかははなはだ疑わしかったりもするようなもんなんだけれど)について学ぶべく、「現代詩手帖」だとか「詩と思想」だとか「ユリイカ」だとかはては「現代思想」だとか(「詩学」はあんまり難しくないです、それがいいところなのかどうかは別にして)手当たり次第に読み散らかしてせっかくのあなた自身のポエジーをどこかにやってしまったりしてしまった悲しい例を、私は何人も何人も知っています。
「何のことだかわからない」のは、実は「今の自分には必要がない」のだということ、それさえわかっていればわからなかったからと言って別にうろたえることも心配することもありません、平気で無視してください。ただし、ここで間違えてはいけないのは必要がないのは「あなた」ではなくて「今のあなた」である、と言うことだったりします。あなたがずっと「今のままでいいや」とか思ってたりなんかしたら即座にあなたはどんどん駄目になっていくのですから。もしかしたらその批評は「今のあなた」には必要がなくっても、「これから先のあなた」にはすごく重要なものになるはずのものであったかもしれません、ただ、出会いの時期が悪すぎた、と言う不幸な出来事で、それはことさらに詩の世界だけではなくって、あなたが生きていく間には何度も何度も繰り返し訪れちゃったりすることはいうまでもないこと、であるような気がしますけれど、如何でしょう?(とここまで書いたらおのが身につまされて遠くを見つめてタバコの一本もすってしまいたくなった俺はが今思い返しているのはもちろん、「批評との出会い」ではないところでの「出会い」であることは言うまでもありません……あの子はどうしているのだろう……)


散文(批評随筆小説等) 山田せばすちゃんショウたぶん番外のけたらその5 再びいつの日か酷評を超えて Copyright 山田せばすちゃん 2003-11-24 01:01:29
notebook Home 戻る  過去 未来