野積海水浴場
山人

 今月に入り、上司と二人だけの作業が続き、精神的に疲れていた。月火は休みだったが、あいにくの曇りと雨。家にいるのは退屈だし、出掛けた。
 もうすぐ慣れた職場を離れ、あたらしい人間関係の中であたらしい職種をこなすことになる。そのことや、あらゆることが身を縛り、とても家の中に居すわることは不可能だった。とにかく月曜は海が見たかった。
 弥彦スカイラインから七浦シーサイドラインに行こうと峠道を走ると、冬季閉鎖の看板が立てられていたがかまわず向かった。しかし、やはり通行止めの柵が施されていて、警備員がなにか言いたそうに誘導棒を手にこちらを凝視した。通行できなければ、何かを聞くまでもなく、そのまま広い場所でぐるりと向きを変え下った。車で走っていると、途中に弥彦登山口と言う朽ちかけた道標を見つけ、左折し車を乗り入れた。軽自動車が一台停車されており、沢筋の湿気っぽい雰囲気のある登山口だった。最短で至れるらしかったが、海には程遠く、ここは回避した。
 七浦シーサイドラインに入る手前に、大きな橋を撤去する工事が行われていた。大きなコンクリートの橋台を撤去するために、河床に大型機械でボーリングし、撤去するのだろう。最近の建物や、こういった構造物の撤去工事は、元のままに還すことが義務付けられているようで、相当な予算が計上されているのだろう。
 シーサイドラインを新潟方面に向かうと野積海水浴場が見えてきた。一年に一度は妻と子供たちとで訪れた海水浴場だった。私は仕事に追われていたが、順風満帆とは真逆の生活を強いられていた。それでも子供たちを喜ばせたいと向かった海だったが、車中で妻との口論を繰り返し、それを子供たちは黙って聞いていたのだった。自分の力の無さを怒り、どうしようもない心情を家族にぶつけてしまっていた。あの頃に戻ることなどできないが、過去に許しを乞うように、ときおり海を眺めに来たくなる。
 海は荒れていた。海水のモンスターが岩を襲い、そしてまた海に戻るというその凄まじい圧力は、何かを思考することを忘れてしまう。ひたすらそれを見入ることで、自我を失わせ、気持ちが平坦になる。山は動かないが、海はこうしていつも壮大な動きを見せつけてくれる。
 日本海の岸壁を縫うように走る、シーサイドラインの途中に、田ノ浦海水浴場のだだっ広い駐車場がある。トイレ棟があり、弥彦一帯の観光地図のパネルが掲示されている。過去に複数名でこの登山口から弥彦に至ったことがあったが、もう十六年も前の事だ。知人の案内で行ったのだが、わいわいと騒ぎ立てながらの登山であり、特にコースの概要など記憶にない。ただ、その昔銅山であったという事がうっすらと記憶にあった。十五分も車道を歩くとようやく登山道となる。沢を幾度と渡っては対岸に移り、また同じことが何度も繰り返される。
 この田ノ浦コースは、春には花の時期で賑わうコースだ。幾分マイナーなコースではあるが、旬のユキワリソウ(オオミスミソウ)を求めて人があふれる。今は初冬で、草木の葉もなく、いたるところが黒や茶色といった味気ない風景が続く山道だ。そして肌寒い曇り空で、予報は時々雨。登山者は誰も居なく、一時間強歩き尾根にようやく取りついた。尾根をしばらく登ると、冬季以外は山頂直下まで車で行ける弥彦スカイラインに飛び出た。観光地の登山道には途中で車道に出ることが少なくない。車の通らない、車道をスパイク長靴だけがザリッザリッと音を立てている。単独で山を歩くことを楽しむというロマンはない。ただ、自身の生を確認し、その鼓動や息づかいを味わうということにつきる。 
 表参道登山道からの登山道も平日で天気も良くない事から、数人行き会ったのみであった。山頂手前九合目までロープウエーが運行され、それを利用して来たのであろうか、普段着で傘をさした夫人が山頂を後にし帰っていった。弥彦山には幾度と登っているが、山頂の鳥居前に人がいなかった記憶はなかった。賽銭箱に百円を投げ込み合掌した。人の視線を感じることもなく、多くを願った。
 一時間三十五分の軽登山であったが、まったく休むことなく登り、かなり汗をかいてしまった。下山中の山道で、上半身裸になりすべて着替えた。湿気が絡みつく感覚は失せ、いくぶん皮膚と肌着が触れ合う感触が心地よい。下山は帰り道ではあるが、ゴールへと向かう登山でもある。
 車のエンジンをかけ、降り始めた雨にワイパーを作動させる。車は私の行かんとするところへ向かうはずだ。何だってそうだ。行こうとするところに素直に行けばいい。普通に。なりふり構わず。


散文(批評随筆小説等) 野積海水浴場 Copyright 山人 2020-12-11 20:11:09
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