146号編集後記
たま

 世の中は日々変化します。
 私が長年愛用してきたガラケー(ガラパゴス化したケイタイ電話)も、
あと二年ほどで使えなくなるそうです。それで、「早く買い換えてくだ
さい」という催促が、ケイタイ会社からしょっちゅうやって来て、仕方
なくというか、ようやく、私もスマホに買い換えることにしました。
 ケイタイもスマホも、買い換えるとなると当然のこと、少なからず出
費が伴いますが、私の歳になると、あれやこれやと特典(割引)がつい
てきて、なんと0円で、お気に入りのスマホを手に入れることができま
した。と、そこまではラッキーというか、すこぶる上機嫌でした。残り
物には福があるというか。ところが、いざスマホを手にしてみると、さ
っぱり使い方がわからないのです。
 購入したスマホが、お年寄り向けの「簡単スマホ」ではなく、アップ
ルの「iPhone」でしたから尚更のこと、わりません。予備知識なんて一
切ない状態での買い換えだったです。というのは、自宅のプリンターの
インクを買うつもりで、ケーズデンキに立ち寄ったら、そこに0円の、
「iPhone」があったものだから、その場で購入してしまった結果、心の
準備ができていなかったというわけです。
 最近はあまり聴かなくなりましたが、「年寄りの冷や水」という諺が
あります。私のスマホはまさしくそれだったのですが、そう思うと実に
恥ずかしいというか、阿呆なことをしたと反省するしかありません。そ
れで、しばらく落ち込んでいたのですが、意外なところに救世主が隠れ
ていたのです。
 それはスマホの音声でした。最近の私はずいぶん耳が遠く、ケイタイ
の声がほとんど聴こえなくて、一月前に補聴器を購入したばかりでした。
補聴器は片耳で十万円もしますが、それでも一番安価なものです。それ
でケイタイの声も少しは聴き取りやすくなったと、安堵していた矢先に
スマホを購入したのですが、なんと、スマホだったら補聴器がなくても、
実によく聴こえるのです。
 私はようやく気づくことになります。長年愛用したガラケーが劣化し
て、最大ボリュームに設定していた音声が、小さくなっていたのです。
もちろん、スマホの音質も素晴らしいのだと思います。スマホを手にし
た若者を見ますと、耳から遠く離して通話しています。私はあれが不思
議で仕方なかったのですが、すっかり納得できました。そんなわけで、
せっかく買った補聴器は出番がなく、妻の愚痴ばかりを聴いています。
 さて、今年も暮れようとしていますが、私の半生に特筆すべき年とな
りました。コロナ過の真最中だった五月に母が逝き、さらに七月に叔母
が、九月に叔父が、相次いで逝ってしまいます。母は九十歳でした。
 世の中の変化も、私たちが日々年を重ねることも、眼には見えないも
のです。その見えないものに気づいたとき、ひとは年を重ねます。ひと
は明日を知らず生きるものです。時代の先端を行くスマホを手にしたか
らといって、明日が見えるわけではありませんが、ほんの少し、心強い
気がして、スマホを学ぶ私がいます。

 今号も長い編集後記になりましたが、同人の皆さまからの「エッセイ」
をお待ちしております。表3のスペースに掲載しますので、どうか遠慮
なく投稿してください。
 では、年の瀬の皆さまのご健康と、ご多幸を祈念して筆を置きます。
 どうかお元気で。              
                           (た)








散文(批評随筆小説等) 146号編集後記 Copyright たま 2020-12-01 13:05:06
notebook Home 戻る  過去 未来