ブナを植える
山人

 十一月十七日、前日まで杉林の除伐を行っていたのだが、その作業をいったん中断し、ブナの植え付け作業を開始した。あらかじめ秋口に植え付け面積を刈り払っておき、そこに一・五メートル間隔でブナの稚樹を植え付ける作業である。成長が活発でないこの時期が植え付けの適期だと聞いた。面積は二十五アールほどの箇所が二か所あり、一ヵ所目はかつて砂防工事が行われた盛り土痕の場所で、表面にはプラスチックの網が施されている。刈り払い後のヨシやススキが枯れたままそこに散らばり、灌木も殴り倒されたようにとどまっている。一・五メートルのスケールを持ち、大まかに長さをはかりながら唐鍬で植え付ける。唐鍬を振るうと、ほぼもれなく木の根っこや蔓部分、石が必ず存在する。ブナ稚樹とはいっても長さが五十センチ近くあり、根っこも長い物では三十センチ近い。それがしっかり収まるためには相当の穴ぼこを掘らないといけない。掘って根っこを入れて土をかぶせ、足でしっかり踏みつけるという作業を日が暮れるまで繰り返すのだ。
  私たち生産森林組合の作業は、基本的に刈り払い機がメインで二割ほどがチェーンソーである。草を刈り、芝を刈り、灌木を刈る。枝を打ち、木を伐り、玉切る。主に機械を使って作業を行うのが主だが、このように唐鍬のみを使い終日人力だけの作業は珍しい。
 十七日から晴天が三日続き、記録的な季節外れの暑さであった。生き残ったガガンボのような小さな生き物がふわふわと飛び、エナガも集団であちこちの灌木の堅果を啄んでいた。着衣も三枚から二枚になり、最後は肌着一枚で作業を行った。三日かかって、ようやく二十五アールと言う僅かな面積を植え付けた。

 ブナが意図的に植え付けられていることを知ったのは、森林組合に勤め始めたころであった。どこそこの現場でブナの下草刈りをやるという事で出向いたのだが、ススキがぼうぼう生い茂る中にブナの稚樹が点在しており、その周辺を刈り払うという作業だった。当時は雑草と見間違えよく誤伐した。八年前にも新たなる場所に地拵えし、ブナを植え付けたのだが、目印テープを着けず植え付け、刈り払い時期にはことごとく誤伐した。当然である。ブナの稚樹より周りの雑草の方が大きいからである。それ以来、植え付けの時点で赤テープを巻いてから植え付ける習慣が始まった。
 昨年、新たに五十アールほどの荒れ地を地拵えし植え付けた。赤テープを巻き、湿気の多い、水が浮くような場所などにも精魂込めて植え付けた。一冬越し春になり、梅雨時期に一回、八月末に二回目と下草刈りを行った。目印を付けたブナ稚樹であっても、周りの草の成長が早いところは誤伐してしまうし、当然湿地のようなところに植え付けたブナはすでに枯れてしまっていた。それでも、しっかりと葉をつけて生きついてくれているブナも多くあった。

 十一月二十日、別な場所へ移動し、ふたたびブナの植え付けを開始。元の地形は山岳からの崩落地で、クサソテツなどの山菜が多く出ていた場所であり、多くの巨石がたくさんある悪場だ。大まかな目印線をナイロンロープで引っ張り、植え付けを始める。下方の現場に較べると人工的なナイロン網もなく、比較的良い土のようで作業ははかどった。
 昼からは残念ながら悪天となり、大雨の中植え付けを行った。老朽化した雨具はじわじわと雨水が背中に染み、ひどく不快だったが、気温は高く我慢できるレベルであった。四時少し前には薄暗くなり、早めに声掛けし現場を後にした。 あと二日ほど植え付け終了までかかるであろうか。

 地味な仕事である。そして森林組合の中では最も嫌いな仕事でもある。しかし、ここのところ、毎年ブナの植え付けを行い、夏に二回の下草刈りを実施し、ブナの生存を確認する。ここは良い土ではなかったはずなのにしっかり根を張って葉っぱもつけてくれている。それがひどくうれしいのだ。そして、注意はしているものの、うっかり誤伐してしまったブナには、もう一回幹のどこからか葉っぱをつけてくれ!と祈るのだ。
 向こう何年かはこうして下草を刈り、意図的に成長を促すのだ。

 ここ何年か、当森林組合所有の山林から用材用の樹齢百年以上のブナが伐られ搬出されている。しかし、機械力(重機類)のない当該組合は伐り出し作業や搬出作業はできないのが大変残念ではある。
 私たちが植え付けたブナの稚樹が収穫期を迎えるころ、私たちはこの世に存在しないし、話題にすら上ることもないだろう。百数十年後、ブナの大木がゆさゆさと梢を揺らし、無数の野鳥が群がり、樹幹から流れ落ちた雨水が団粒構造状の豊かな土で濾され、未来人の健康に役立つ水を提供してくれていることを願いたい。
 



散文(批評随筆小説等) ブナを植える Copyright 山人 2020-11-21 08:37:20縦
notebook Home 戻る  過去 未来