トラムの話
春日線香

トラムは悪い病気を持っている。唇に薄紅色の肉の塊が垂れ下がり、ちょっと見には馬鹿みたいな花を口にくわえているようだ。だから大首女や酒飲みのガンに笑われるし、うだつが上がらなくていつまでも一人前に見られない。今日も街外れの遺跡で砂を掘っている。空に月が昇るまで毎日そうしている。

トラムが歌うと人々は嫌がる。口の肉がぶるぶると震えて、深い地の底で鳥が殺されているような音がする。おまえが歌うとどこかから不幸が運ばれてくるようだと皆はトラムに言い、また彼自身もなかばそれを信じているので人に聴かせようとはせず、一人のときに口ずさむ。トゥララ、トゥルララ。おもちゃみたいなスコップで砂を掘る。

ある日、トラムが砂掘りに精を出していると、小さな石の扉が砂の下から現れた。ずいぶんと古びた扉だ。苦労してこじ開けると階段が下へ下へと伸びて、冷たい空気がすうすう流れている。どこへ続いているのだろう。トラムはおそるおそる地下に降りていった。トゥララ、トゥルララ。歌は壁に反響していつもよりもっと奇妙に響いた。

それきりトラムは消えてしまった。彼がいないことに最初に気づいたのはバベル屋の主人だった。もう何ヶ月も経っていて、トラムが掘っていた遺跡は砂に埋もれてわからなくなっていた。トラムの消息を尋ねても誰一人知らなかった。主人は胸騒ぎを覚えたが厄介者に気を回す余裕はなかった。人々も病気持ちの妙なやつのことなんて気にもとめなかった。

何年かして街にはある噂が生まれた。どこからか気味の悪い音が聞こえる、と。誰もがふとした瞬間にその音を耳にして怖気をふるうのだけれど、どんなに調べても出所がわからない。それどころか、本当にそんな音がしているのかもよくわからない。耳のうしろを撫でる風、ほんの少しの空気の流れにその不吉な音が混じっているようだった。

またしばらくして親たちはあることに気がついた。子どもの間に病気が流行っている。唇が腫れ上がって、垂れ下がった肉がそのままの形で治らなくなった。一体何が原因なのかわからないまま多くの子どもが患った。あの不吉なトラムを思い浮かべる者もいたが数は少なかった。大首小屋は場所を移していたし酒飲みのガンはとうに死んでいた。バベル屋もなくなった。

今では何十年も経っている。子どもたちは親になり、彼らにも子どもが生まれた。どの住人の唇にも肉の塊が垂れ下がっていて、歌うと奇妙な響きの音楽になる。トゥララ、トゥルララ。不吉な風が吹くとき、彼らは歌わずにはいられないのだ。トラムの名前を知らなくてもその歌は口をついて出て、時折来る旅の者を不安がらせたりする。トゥララ、トゥルララ、ルルルルル。ざわざわと胸の奥をかき混ぜる。



自由詩 トラムの話 Copyright 春日線香 2020-11-01 08:53:03縦
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