もしも私が死んだら
月夜乃海花

諸事情で母と寝る部屋を交換した。今は独り立ちする前の私の部屋に居る。私の部屋にはロフトベッドがあって、高校時代と大学を入学してた時期はずっとこのベッドにお世話になっていた。今、このベッドに寝そべるとベッドの柵のおかげで自分が棺の中にいるように感じる。だからずっと自分の棺の中の花はどんなものが良いかしら、と考えている。

花は儚い物が好きだ。でも、こうして精神を病んで実家に戻る直前は珍しく初めてレモンイエローの向日葵が好きだった。赤い薔薇も普段は目立ちだかりで「私、綺麗でしょう?」と言わんばかりの喧しさだったが白い薔薇と合わせると仲睦まじく大人しくなるから、嫌いじゃない。
それでも、私は大人しい花が好きだ。休職する直前、東京の青山フラワーマーケット某店舗に並んでいた花が綺麗に見えた。そこにはデルフィニウムやカスミソウなどが入っていて、コップに入れて飾れるブーケという物が売っていた。これくらいなら良いか、と飾ってみた。
当時、8月で近年見られない猛暑でその暑さでブーケは1週間も保たず、枯れてしまった。それでも、ただ1種類の花だけ残った。調べたら、桔梗という花だった。

桔梗というのは山の上に生えてて、花が閉じる時に星のような形で可愛らしい形だから僕は好きなんだ、と昔の恋人が言っていた。そんなことを思い出しながらコップの中の桔梗を見つめた。ただ、白い桔梗だけは1本コップの中で何もなかったかのように生き残っていた。
「僕なんてまだまだ耐えられるんだから。」
そんな声が聞こえた気がして。ブーケからその桔梗を取り出して、コップの中に桔梗だけ入れて飾ることにした。

それから、1週間が経った。桔梗は一部の花弁や茎を枯らしながらもまだ全然問題ありませんと冷静に報告するかのように生きていた。
ただ、コップの中に桔梗1本だけではなんだか寂しそうだなと感じた。そこで、また花屋に行った。すると梶井基次郎の「檸檬」に出てくるような鮮やかな黄色い向日葵がいた。
普段は向日葵など目立ちすぎて苦手なのに、その時は惹かれてしまった。向日葵のブーケを買い、コップに無理矢理飾った。向日葵は「元気だよ!見て見て!」と可愛らしい子犬のように私に問いかけて、その代わり、桔梗は向日葵たちに潰されていた。

結局、その向日葵は2週間程度で茎が弱ってしまい飾れる状態ではなくなった。一方、向日葵のせいで光合成すら出来ているかわからない桔梗は半分くらい枯れていたがそれでも生きていた。彼は最後まで生きていた。少しずつ、会社に行けなくなって、何も食べられない私と1本の桔梗。「まだ、大丈夫」をずっと繰り返していた。ポカリスエットしか飲めなくなり、数ヶ月前までやけ食いでどんなに運動しても減らなかった体重がたった10日程度で3kg以上痩せた。最後、総務のお偉いさんと部長に今後休職が必要かどうかの診断書をもらってこいと言われて、次の日に精神科に診断書を貰うために会社を休んだ。それを母に報告したら「もう良いから、実家に戻ってこい。」と言われて、診断書を貰ったら速攻で羽田空港に向かうことになった。最後、残った桔梗に「さよなら、ありがとね」と別れを告げてゴミ袋に入れた。
そして、案の定精神科では休職が勧められた。そのまま、羽田空港に向かって札幌に戻った。
今でも花を見ると思い出す。今年の夏を。

必死に生きていた彼を。目立たずとも、大丈夫だと言って必死に気づかれずに生きていた君を。
私の棺にはどうか、桔梗を入れて欲しい。白くて強い子たちを。青も綺麗だろうか。私たちは大丈夫だと、そんな声を聞きながら燃やされて還りたい。そして、桔梗になって歌うのだ。「僕たちは強いんだ、生きているんだ。」眠る時は星のように目を閉じて。


散文(批評随筆小説等) もしも私が死んだら Copyright 月夜乃海花 2020-10-28 23:16:32
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