わたしはまだ子供でした。
こたきひろし

田んぼの土手には篠竹をが生い茂り雑草も入り混じって、その先に見えるのは連なる山並みの内の立ちそびえる山の肌でした。
でも山と土手の間には川が流れて、その手前には川原が有る筈でした。
だからでしょう。長い間に篠竹と雑草がかき分けられ踏みしだかれて、一か所だけ川原に降りてゆく途が出来てました。

わたしは子供でした。
友だち一人いない子供だったわたしはなぜか家族の中でも浮いた存在でした。
いつも一人ぼっちだったのです。それというのも肉親にさえも馴染まない子供だったし、自分の殻に閉じこもる子供だったから、たとえ親兄弟と言っても可愛げなかったからでしょう。

明るい笑顔って大切なんですよね。ちっとも笑わないと周りに誤解を生むんですよね。その結果、皆が皆離れていってしまうでんですね。もし成長して大人になっていたらそれは身に沁みてわかっていた筈なのです。
でも自分には苔みたいに張り付いたしまっていた性質を変えられずにいたと思います。その理由としてすべてに不器用だったからです。

一人ぼっちだった子供だったからわたしはいつも一人遊びばかりしていました。

夏のある日でした。わたしは川原に降りていきました。川原には流木が沢山あったのです。
真夏の太陽の中で流木は水分をすっかり失っていました。干からびてました。

子供だったわたしは浅はかな遊びを思いつきました。
流木を集めて筏を組もうと考えました。
わたしの家は川原の近くに有りました。その時間誰もいない筈なのです。

わたしは直ぐに家に帰り納屋からナタと縄を持ち出して川原に戻りました。流木から筏作りに邪魔な部分にはナタを振り下ろしました。
集めた流木を縄で縛りつけて、やっと筏らしき物が完成しました。
わたしはその達成感に歓喜しました。
そしてわたしは力の限りに筏を引っ張って川の水面に浮かばせました。

わたしはたまらずに筏に乗ってしまいました。
流木を手にして漕いでしまいました。
筏は川の流れに乗ってくれました。
その内に思わぬ早い流れに飲まれて筏は縄が緩みだし、直ぐにばらばらになりました。

後日
わたしは下流で水膨れの子供の死体になって発見されました。


自由詩 わたしはまだ子供でした。 Copyright こたきひろし 2020-10-25 11:43:49
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