恋人と爆弾
ただのみきや

逆説的

ルイス・キャロルが実在のアリスを愛し物語を捧げたように
わたしも捧げたかった

わたしも溺れたかった
ボードレールがジャンヌ・デュバルの肉体に溺れたように

高村光太郎が千恵子を詠ったように
失くしたものを嘆いて詠いたかった

北村透谷が石坂ミナへ書き送ったみたいに
暮らしで萎れるようなものを大仰に称えることはせず

バイロンのように次々対象を変える訳でもなく

ディキンソンのように内に秘め
言葉のアイコンへと熟成するまで黙々と

しかしわたしは詩人ではなく
誰に恋することもなかった
故にいつまでも詩を書いて
居もしない恋人を探しさまよっている





百鬼夜行

生まれ出るものはほんの一部
残りは澱み 怪異の温床となる
わたしの中から言葉を見つめる
無数の無言の目

史実を記した者は残したいことを記し
残したくないことは記さなかった
史実に残らなくても人の心に残ったものは
伝承から伝説へ やがては昔話へ姿を変えた

人は理性に包まれた混沌
美しい包み紙に重きを置く現代の躁鬱
粗末な掛け布からはみ出した古代の分裂

歯車のように仕組みの中で仕組みを捉え
夢の中でも眠りに飢える
それでも空は海より深く
深淵を見通す眼差しもあろうかと恐れて





大気中の強迫観念

あなたの皮膚を透かし見る
乳房の奥の宿り木
銀のハサミの首飾り

剥奪された勲章は二次元
影のない真実の猿ぐつわに喘ぎ
東雲に自決した青いほうれい線

財布の紐に絡まったなまくらリアリストたちよ
紙人形のクラブで静かに海を磨け
フランス語で煙草を吹かしながら

鍋に落下した空が鶫に変わる頃
トマトソースがピアノを犯罪者に仕立て上げる
ジャズは裏口から間男みたいに逃げて行く

ジャマイカ娘の髪の中で
蚊のように囁く恋
注射する堕胎が網膜で妊娠する

金庫のダイヤルを回す指先で
明るい液晶のワルツが砂漠に植えた
結び目もない歌詞の秘密と

その運用をガスオーブンに隠した
子どもたちの足の裏の嘘
剥げ! 吸血せよ!

大勢死んだ船が出た
バッタのように愛はマッチを擦って
貪って悪びれず強情に寄進する

薄くスライスされた思考を透過する
ザラメの煌めき
大気は苦い乳首を噛む





立像

高く澄んだ空の水気に酔いしれて
敷き詰められた枯葉は恍惚と光を仰ぐ
黄金の朝 忽然と
群れから離れた若い鹿のように
あなたは立っていた
あらゆる神秘を内在させた一行詩のように
光はその衣を編み 背の高い影がかしずいていた
色彩は冷たく沸き立って
美は地獄のように否応もなく
わたしの目はあなたを愛した

時は球形 すでに完成されて
人は無限の誤謬へと自らを贄にする
秋という真鍮を鳴らすわたしは透明に溺れ
傍から見れば猿だろう





いま蒼ざめた顔が

いま蒼ざめた顔が一つ
長い睫毛のような翼を広げて
ひとりの男の夢へ降り立った
涙は香料を含む
水底から見上げる波紋
聞えない歌の口形が男をあやしていた
眠りと目覚めの間の逢瀬
朝には黒い灰の花びら
光の中に霧散して
忘れられてしまう一つの顔





幸せ

あたたかい鍋物
――魚介か鶏がいい
美味い酒
――ぬるめの燗で
魚の刺身
――すこぶる新鮮な
採って来たきのこ
――どう料理してもいい

広々とした時間
すこし密になった間柄
いい音楽 気軽で 意味深で
興が乗れば楽器に手を伸ばす
気の合うやつらと絡んでみる

 良い具合に冗談が回る
  キザな台詞も上々に

明日の心配がない
今だけがたわわにある
座り心地の良い豊潤な
今だけが

これらは幸せそのものではなく
幸せだったころの残像や残響
器の欠片にすぎない
再び味わいたくて
状況だけは似せようと努力する
悲しいほど自分を魔法にかけて
既に無いものを在るかのように





不思議の国

日常は単調な景色だがそれは
時間をかけて組み上げられたジグソーパズル
ふと突然 ぬけ落ちた所が目についた
これこそ非日常! 冒険への抜け穴!
――――――落とし穴と呼ぶ者もいる





追記

どこで殺められたか
わたしの亡霊が風になり
枯葉を元気に走らせる



                  《2020年10月24日》









自由詩 恋人と爆弾 Copyright ただのみきや 2020-10-24 21:28:49縦
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