一日遅れの敬老の日
道草次郎



何年かぶりに新聞を読んだ。明治6年創刊の『信濃毎日新聞』一面の左下、敬老の日を報せる日本国国旗の隣に、お題に寄せて写真を投稿できる(こと映え)という名物コーナーがある。今日のお題は〈肝胆相照らす〉、心を打ち明けて親しくまじわるという意味だ。二匹の三毛猫が青いソファーの上で抱き合っている所を捉えた一枚であった。

ぼくには九十四歳になる祖母がいる。祖母は新聞を読むのが大好きで朝刊と夕刊が届くのをいつも心待ちにしている。そんな祖母のことが、微笑ましい猫たちの抱擁の写真を見たことで、ふいに思い出された。色々な事情でなかなか会いに行けず後ろめたい思いが募るなか、何度かお詫びの手紙を書こうとした。が、考え直しやはり電話にすべきかなどと悩み今に至る。でも、会いに行くのが何よりだというのは勿論よく分かっている。

本当はもっと早く行くべきだったのだが、多くのことが整わなかった。そして、そんなのはただの言い訳に過ぎないのも承知している。それでもぼくには、明日がある。明日はかならず行こう、と思える今日がある。それがどんなに恵まれた事かを忘れない自分でありたい。

新聞の猫の写真の話や相撲の話題があればどうにかなるだろう。それに、ぼくがどんな複雑な感情を抱えていたとしても、祖母にとってのぼくは何人かいる孫の内の一人であることに変わりはない。ずっと昔からぼくのことを見守って来てくれた数少ない人の一人なのだ。

だから明日は一歩を踏み出そうと思う。今は、それができたらこの散文を投稿してみよう、とそんなことを考えている。

追記。一歩を踏み出すことができた。但し、昨日やっと会うことが出来たので、一日遅れの敬老の日とは成らず、ほぼ一ヶ月遅れの敬老の日となってしまった。とは言え、一歩は一歩だ。少しずつ、前を向いて歩いて行きたいと今は思っている。


散文(批評随筆小説等) 一日遅れの敬老の日 Copyright 道草次郎 2020-10-18 09:13:09縦
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