残照の中のつまらない対話
道草次郎


 本を見ていたら、ふと夕焼けの気配が気になった。勝手口から外に身を圧し出してみる。すると、その音に驚いた鳶が畑の近くの草地から、ぶわっと飛び立つ。
 気象現象については詳しくないが、台風が日本列島の南洋へと回れ右した事と夕焼けの色とは関係があるのだろうか。柚子のような黄色味を帯びた光が雲雲へと放たれ、その黄金の照り返しと鼠色の陰翳とが西空に渾融していた。
 綺麗、というよりも寧ろいささか妖しく不気味で、しかし、それは美しかった。浄土なるものがあるとしたら、その空の色味はきっとこんなだろうかと、そんな事を考えた。猛禽類とは名ばかりの思いのほか臆病であったかの鳥は、既に残映の遥か高みへと達していた。

 こういう心向きには愉しさが欠落しているな…、と思いながら俯き茂る下草へと歩を進める。秋の夕闇のとば口に立つと、風の冷たさで七分袖の先の皮膚が粟立つ。何かの芯が微動している…それを、感じていた。
 刻一刻と暗色を加えていく秋のパレットの上を歩いていく。脛をやわらかに窘める短丈の草の鞭。右頬にかすかに纏い付く蜘蛛の意識。鼻孔に佇む雨上がりの青草の馨り。
 そういうものの感覚を一つひとつ味わうように感じつつ、畑の端まで行ってみる。そこで立ち止まり、来た叢と家屋の方を振り返ってみる。電灯が北と西の二か所にともり、もはや残照は白いモルタル壁に弱々しい陽を届けるばかりになっていた。

 自分はこれからどうなるのだろうか。まず初めに頭に浮かんだのは、それだった。目を瞑っていた。冷たい風が耳の脇を通り過ぎたが、その風を追いかける次なる寒風がまた耳を擽った。
 暗く冷たい場所に、自分の中のもう一人の自分は立っていた。
 その自分は云った。
 「世の中には、明るく愉快な、想像力に満ちた世界が拡がっている。お前だってつい二日前までは、ペンローズを引っ張り出してワクワクしてそれを眺めていたし、セノーテやインカの遺跡、知床の生態系を本当に愛していただろう」
 僕はその声を随分遠くから聴いた気がした。一番遠い場所、たとえば観測可能な宇宙の突端から。そして細胞の共鳴においてそれを認識するように、コトバを浴びた。
 内在するニュートリノと寂寞。
 ぼくはまた歩き出す。今度は僕自身の秋の土壌を、想念の長靴で。
 「お前の言っている事はその通りだ。今のこの有様は、あんまり灰色すぎる夢のようだ。でも、人の心はとどまらないしそれは波打つ穂波か、不規則な心電図のカウンターみたいなものだ。こうしてここに立ち、目を瞑り、立ちつくすのことにも何かしらの意味がある。それを信じることにだって、きっと意味がある・・・」

 気が付くと、あたり一面は殆ど暗くなっていた。月も無いので影もみえない。黒い草や淀みのようなものがあちこちに点々とあるのみで、心は虚しさを爪弾かんとピックをまさぐりだした。烏の声を期待している自分が何処かにいたが、けっきょくは啼かず仕舞いで周囲は完全なる闇に閉ざされてしまう。
 月の不在。鞣された夜空。行方不明の星雲。
 
 一つのものが二つながらに秋の野に立っていた。そして、それらは互いの事を見透かしていたにもかかわらず、稚児の対話篇をものしたのだ。
 ここは古代ギリシアはパルテノンだろうか。否、違う。北信濃は○○市のさびしい吹き溜まり。乳歯のような魂を荒んだ器に積載し、獣のような臭さを撒き散らしながら日々を汚している男が棲みつく場末の曲がり角だ。
 夜陰に乗じ、歯噛み。

 勝手口を出た音に驚いて羽搏いた鳶は、今ごろ、銀河のどのあたりの惑星を飛んでいることだろう。
 浄土の空と秋風をさっき感じたしょぼくれた男一匹。地球の魂(アニマ)に一瞬溶け込めたような感覚は、あれは錯覚だったのだろうか。
 ふたたび詩篇が紡がれていく事は避けられないようだ、この秋の常闇に。




散文(批評随筆小説等) 残照の中のつまらない対話 Copyright 道草次郎 2020-10-10 22:09:58
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