悪の詩集
吉岡孝次

さりげない傷口にシビレながら
日曜に組む章句は手癖にまかせている。
逆賊の治世に生まれながら詩を
どこに塗り込めるつもりなのか、本物の悪も知らないままで。


配収のめども立たず木目に埋もれてゆくポスターでいいとは
笑わせてくれる(痛み止めをくれ)。
罪をきっかり悪と取り違えるようなドラマ酔いの、
会員証でも発行しているのか。あの
どんな背景も持たない行員さえこの国に敗北(ま)けている。
僕までもが名門校の学童のように信じていた。
革に籠もる薄刃。学区外の騒擾。どうして手錠の軋みなのか、
悪のたたずまいはそんなところにはないというのに。


「善悪、と並び称されても背中合わせよりは寧ろ」・・・
で解らなくなる。なぜ詰まる?
時間をおいても
言い聞かせてみる俚諺/テーゼは思い浮かばず
とどまることのない落葉ゆえにいつか胴切りにされてしまう街路樹へ
その黄色い路上へ
答え合わせを投げ出して、小憩に
述部がすげ替えられる理由は
あっても
知らない。


結局は
大雨が降っても
数日で乾いた空気がよみがえるように

秋の気配は
黒い装幀の、黒い帯に巻かれた黒い装幀の
底流を
閉じる、蓋のような中断と

  何であれ
  生きること。公園ででも、
  辻でも。

その、
もたらす寂寥に縫い込まれて
別の一冊にも いつかなるだろう。
ただし悪は栞ではなく
タイポグラフィーの余慶にも書かれていない。


悪の詩集は焚かれたことがなかった。
読まれることはあっても読み捨てられることはなかった。
伏せられることはあっても忘れられることはない、と
綴られる前から判っている。
また「寂寥」か。
「生きてゆくことの寂寥」か。
一代限りで詩人を襲名するのがそんなに嫌か?
でもお前は「そんなの」だ。
同時刻をやり過ごす誰それとも荷は等重量で、
一呼吸あたりの長さもそんなには変わらないのだ。


信書である筈がなくとも
鏃に塗った毒の出処は少しも違わない。
毒の味わいを 深めてゆく。

あしたも晴れるしかない秋の日のように。


自由詩 悪の詩集 Copyright 吉岡孝次 2005-04-16 18:06:53
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