熟れた悪意の日々
ただのみきや

小乗奈落下り

薄皮一枚
力ずくの力が萎えた両腕で
無垢な羽ばたきを模索する

庭園の苦行者は薄幸の煌めき
傷口は各々レトリックを備え
投げやりな否定で自らを慈しんだ

最初は小さな穴だった
風船をテープの上から針で突いたような
圧力から逃れ 吐息は殻を持った

穴は次第に大きくなる
途切れることなく奔放に 吐き出しているのか
異なる気圧に吸い出されているのか

目的と手段の融合 継ぎ目のない母子像
自らを標本として虫ピンで留め続け
せめぎ合い 裂ける 虚空の広がり

署名がなくても明らかだった
夢の中ですらまざまざと
己ただ己に取り囲まれて

すべて砂塵 賛辞も批判も
埋もれて往くだけの木乃伊を
誰が発掘する? ましてや真水で戻す者など

それでも茫漠幽玄三千世界とまだ嘯いて
御椀の舟に箸の櫂――ただ内へ
         内へ飲まれる渦潮地獄





聖母

男は今も母親と臍の緒で繋がっていた
捏造された記憶では
母はラファエロのマリヤに似た娼婦で
愛情深い甲斐性無しだった
もうずっと前にもらった
吊るしっぱなしの花束が
唯一微かに美の面影を残していた
日の入らない部屋の鏡台の中から
下着姿で微笑んでいる
男は今も母親と臍の緒で繋がっていた

ショットガンを咥えて
男の頭は壁紙になった
思想も記憶もなにもかも
夕陽に滾る海に
女の顔が浮かび上る
大理石より白く死者よりも仄かに笑み
すぐに沈んでいった
暗闇の中で
男の記憶は一枚の絵
赤い海の底 黒い下着の聖母





一杯やるか

目で追っていた女が急に振り向いた時
雨は斜めに手早く辺りを染めた
バケツに浮かべた小舟のよう
静かに内側から溶け
時間は海月のような山火事だった
幼児たちの散乱に
揺らめきながら目を瞑り
夜の海に足を取られ
一瞬で萎れた花
あるいはキチン質の断章
神の視線に干からびた雀蜂
女の唾のような一滴を添えられて

年を取ると歯磨きが丁寧になる
劣化した輪ゴムのように時間を裏切って
ぺしゃんこになった蝙蝠と首っ引きの
甲斐もなく 安酒を買う

瓦解する過去の
なんと朧なことよ
迎える未来などなく
ただ瞬間が上書きされ続け
階段を上り下りする雑踏の
足音から解を求めた
延々連なる方程式
自問自答の音楽に笑い声が身を投げる
散らばったビーズの一粒が
新たな神話を模索している
老いさらばえた仮面の下
雄鶏が鳴くようにぱっくり割れて
祈りより濃く吐いた息
溺れる蟻たちはネオンサイン
瞳を静かに爆撃する
音楽は貝を愛し
耳は盲目の猫を愛でる
アスファルトを打った胡桃の
色彩の片言 黒いハンカチを振りながら
あとは惨殺
わたしは感光し白痴化する





徒歩

車は風を追い抜いた
風は自転車と競い合う
自転車がわたしを追い越した
いい塩梅に
風に押されて歩いてる





「ああ」や「おお」は煙草のようなもの

表皮を剥いてしまえば
たましいは
言葉のないのっぺらぼう
震え波立つ欲求に
既成の言葉を並べ合わせ
ことばの意
こころの意
開けば開くほど
冴え冴えと
寒々と
青の彼方
蜻蛉の行方
見つめる虚空に見入られて



                     《2020年9月26日》












自由詩 熟れた悪意の日々 Copyright ただのみきや 2020-09-26 20:04:55
notebook Home 戻る