なんだって、読まれ読まれて、なんぼなら。
秋葉竹



《そこ》では、
だれにも読まれないから、
詩を、
詩のサイトに投稿した。


詩、だから、
詩のサイトでは、
読んでもらえると想った。


でも、そこでも詩は、
読んでもらえなかった。



なら、投稿を止めようと想った。



でも、面白かったのは、
それでも、詩を書くことを止めようとは、
一切想わなかったこと。


表現したい、という
あふれる想いが、引きも切らず、
ぜんぜん止まらなかったこと。



なら、投稿を続けようと想った。



そしてこの八月で
三年になる。


詩、は
詩、の共同体でしか
読まれない?

そういう、時代も、あったでしょう。

でも、いわゆるネット詩が、
詩を世間に発表する人の数を
何万倍(大袈裟だなぁ)にもした時点で
実はそこに
他の人に読まれる詩を書く
方法はあったんだ、って気づく。


考えて、みよ。


僕も未だに暗中模索ちゅう、



なんだって
読まれ読まれてなんぼなら
読まれるために透きとおりたい





2020.8.20 花澤悠



自由詩 なんだって、読まれ読まれて、なんぼなら。 Copyright 秋葉竹 2020-09-01 20:30:40
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