無題
おぼろん

「キミ」といったボクの心を、
あの青い空は吸い上げていた。

マンションの中に入ってきてまで、死ぬ、
蝉。

彼らは種を残し得たのだろうか。
茫洋とした想像がとめどなく続く。

「アケミ」と、ボクの名をいつも間違って呼ぶ、
少女がいる。

もう少女という歳でもないのだろう、
しかし心は少女のままで……。

父母への手紙がずっと、
出せないでいる。

あといく月の命……
もう蝉のように愛を交わす歳でもない。

でも、幸せという枷のなかにいて、
ボクはそこに触れられないでいる。

夏日に思うのは、
そんなことばかりだ。

懐かしいという意味では、
ボクが見る風景のすべてが懐かしい。

昨日見たものも、今日見たものも、
去年見たものも。来年見るものも。

世界は移り変わっていき、
そこに取り残されるのもまた、一興、

などという、ざれ言を言うつもりはなく、
ただ枯れ果てた木の葉のように、

風に吹かれるままになっている。
自らのさがも忘れて。

自らのさがも忘れて、
追いつくのは何にだろう?

運命は宿命とは違って、
この手によっても変わっていく。

そう、百年の物語を織ろうか。
いつ始めれば良い? 今日か。明日か。

サラダボウルに見入ったまま、
何ということのないように、つぶやく。

「キミ」はいつ帰ってくるの?
それとも永遠に帰ってこないの?

氷点下の心が、真夏のなかにもあり、
それは、決して拭えない穢れで、

ボクを磔刑にする。
そのままで良い。

明日晴れたなら、
今日晴れたのと同じように、

ボクはボクの想いを繰り返す、
戻って来ないものはもう戻って来ないのだと。

そして新しく始める、同じ毎日を。
繰り返しでもない、それでも限りなく似通った日々を。

翼があれば、
ボクの心を吸い取った空へと、

近づけるだろうか。
それともそこにはやはり境界があって、

ボクの手を拒むのだろうか。
いつしか、それは透明になって、空と一体化する。

掴もうとしたボクの手は、もうボクのものではない。
そして「キミ」と呼ばれた存在も、

マンデルブロの集合のように、
追いかけても縋れない、微細な世界に紛れ込んでゆく。


自由詩 無題 Copyright おぼろん 2020-08-15 17:17:18
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