山国の車窓より 〜中央線沿線
道草次郎

*《明科》

山間やまあいにある明科という名の小さな駅から、ぼくは下りの電車に乗った。よく知っている場所のよく知らない駅だった。それは梅雨入り前のことで、水害やそれに伴う中央線の運休とはまだ縁のない季節のことだった。

その子をチャイルドシートに座らせたぼくは、妻と自分のために飲み物を買って来ようと駐車場の隅にある自動販売機へと足を踏み出そうとしていた。その時、いきなりポケットの電話が鳴った。ぼくはほとんど反射的にその電話を切ってしまった。それを見た妻は何も言わず、しばらくすると子供をあやしにかかった。

ぼくはザクザクと音を立てながら駐車場の砂利道を横断して行く。自動販売機までの道のりのあいだ考えていたのは、電話のことでも妻のことでも子供のことですらなく、ただひたすらに自分の心についてだった。






ぼくは26歳の時、突如としてこのままではダメだと思い立ち市の保健センターに電話をかけた。それまでのぼくは就活につまずき、運転免許証取得も中途で投げ出してしまい、いくつかの心療内科と内科と漢方外来を転々としていた。そして、実家に少しだけある農地を耕しながら俳句を詠んだりする毎日を送っていた。

恥ずかしいと思いながらアルバイトひとつ経験したこともなく、しかし図書館へは足繁く通い、月の自転車走行距離は優に200キロを超えていたと思う。

引きこもりかニートだったかはよく分からないが、とにかくぼくは父が遺した畑の土を耕し、種を撒き、必要に応じて草を刈り、土寄せや追肥をした。そして収穫の時期にはそれなりの満足感を抱いたものだった。収穫した野菜を地元のスーパーの地場産コーナーに卸すことだけがその時のぼくが抱くことのできる野望であり、しかしそれは叶わない野望でもあった。

ぼくはある日、保健センターのコンドウさんという女の保健士さんと電話で話をした。

つまり、ぼくは何年か前からずっとこんな調子で定職にも就かず、実家の畑でよく分からない百姓の真似事のようなことをしながら、年寄りみたいに俳句を詠んだりする日々を送っていることについて云々かんぬんと。

コンドウさんはじつに親身になってぼくの話を聞いてくれた。とりあえず会って話してみましょうということになり、家から一番近い精神障がい者ケアセンターのピアハウスという建物で落ち合う約束を交わした。


*《姨捨》


下りの電車は既にかなり混んでいた。途中、通過した姨捨おばすてという名前の駅はスイッチバックという珍しい切替え方式を採用している全国でも数少ない駅で、夜景スポットとしても有名なのだ。しかしその時は、うだるような暑さの午後2時。ロマンチックさとは程遠い世界だった。






このピアハウスでぼくが経験したいくつかの出来事を少しだけ話してみたい。

ピアハウスは、市に在住する精神障がいを抱える人が通うことのできる作業所だった。ぼくは自分が精神を患っているかどうかはよく分からなかったが、そこに通ってくる人たちが単純に2種類に分けられることに後で気付いた。すなわち、見るからに精神を患っているように見える人と、そうでない人との2通りに。

ピアハウスにはシゲノさんという名前の50過ぎの統合失調症のおじさんがいた。この人はずいぶん面倒見のいい人らしく、他の利用者から何かと慕われていた。ぼくもその人から下の名前にちゃんを付けられ、ことある事に色々と世話を焼いてもらった。 シゲノさんはたいてい笑顔だったが、目だけはいつも笑っていない気がした。

それからタカハシさんという落ち着きのない30歳ぐらいの男の人がいて、この人はいつもシゲノさんと一緒に行動したがっていた。ある時、スタッフの人がタカハシさんのお母さんがシゲノさんに良い印象を持っていない事を暗にシゲノさんに示した事があった。それを聞いた時のシゲノさんの血走った眼と、その奥に宿る得体の知れない恐ろしい何かが忘れられない。

ぼくが初めてこのピアハウスにやって来た時、ピアハウスは騒然としたらしい。若いイケメンが来るらしいよ、という根も葉もない噂が流れていたのだ。退屈な場所にはつきもののこうした噂は別に驚くには当たらないことだった。

ぼくが休憩室で質問攻めにあっているあいだ、窓の方には、その時のぼくよりずっと若くて可愛らしい顔付きをした男の子が座っていた。机に向かい何事かをブツブツとつぶやいているようだった。その子の横に腰掛け話しかけてみることにした。だが、返事は一切なく、ただ痛々しいばかりの満面の笑みをこちらにむけるだけだった。ぼくはそれまで生きてきてこんなにも哀しい笑顔を見たことがなかったし、この先だってあるかも分からない。

シミズさんという女の人は年の頃は30代後半といったところで、話の端々に必ずといっていいほど恋人の影をチラつかせていた。この人も統合失調症だったらしく、いつかこんな話をしていた。「ある時ワタシが会社のお茶飲み場で立ってるとどこからかヒソヒソと同僚の声が聴こえてきたの。その声はワタシの悪口を言ってて、ずーっとずーっとワタシの事を責め続けてた。そしてある日、ワタシ運転中におかしくなっちゃったんだ。ブレーキやアクセルやハンドルやハザードランプのスイッチ、それから方向指示器とか、こんなにもたくさんのものがいっぺんに同時にあるこの車っていう乗り物、ワタシこれまでどうやって運転してたんだろうってパニックみたくなっちゃって。そしたらもうダメ。それからは運転ができなくなって、会社も辞めた。」シミズさんにはけっきょく恋人はいなくて、ずっとお母さんと二人で生きてきたのだということは後になり知った。いつも真新しい軽自動車に乗ってピアハウスへ通って来ていた。

ぼくが自分の話をすると、決まってピアハウスのみんなは、ぼくが童貞であるかそうでないかを気にしているようだった。ピアハウスの休憩室に置いてある何者かから寄贈されたという任天堂Wiiで『みんなのゴルフ』をプレイした時も、みんなは頻りにぼくの初体験の時の話や、ぼくがまだ実家で母と二人暮らしをしている事について根掘り葉掘り聞きたがった。ぼくとしては、この日の『みんなのゴルフ』がぼくの人生でどんな意味を持つのか思案するのに必死で、それどころではなかったのに。

*《川中島》


川中島というと戦国時代に合戦の地となった場所として有名だ。川中島駅。訪問介護ヘルパーをやっていた時期、ぼくはこの駅の近くのコンビニの2階に小さなアパートを借りて住んでいた。近所には明治乳業の出張所があり、毎日早朝からバイクや軽ワゴンが出入りする比較的やかましい住処ではあった。






やがてぼくは自身の希望で、「わらしべ」という障がい者のワーク施設で職業体験をさせてもらうことになった。人生で初めてする仕事。それは缶詰の裏の決まった箇所にシールを淡々と貼っていくというものだった。その施設にはぼくと同い年か少しだけ若い男の人がいて、その人は顔中が隅から隅まで本当にホクロだらけだった。そして、いつもすごく暗い表情をしていた。ぼくが話しかけても、「はい」とか「そうですね」ぐらいしか返事をしない。ある日その人と並んで昼食を食べる機会があった。横を見るとその人の弁当が眼に入ってきた。その弁当には、色とりどりの野菜や唐揚げ、卵焼き、ゆかりを散らしたご飯、さらにはデザートの果物まで添えられていた。ぼくはその時、こう思った。ああこの人のお母さんはこの人の事がすごく大事なんだ、と。そして、そのあと「わらしべ」のトイレで顔を洗いながら自らを恥じた。その人とその人のお母さんの事をどこか同情的に見ている自分がたまらなく恥ずかしくなったのだ。しばらく誰にも見せられないほど、ぼくの顔は、赤面していたように思う。


*《安茂里》


安茂里という字を最初に目にした人はたいてい読むことができない。あもり、と言われればああナルホドとなるのだが、それもそう言われればの話。安茂里駅の次はいよいよ長野駅である。山深い景色の中に、突如として現れ出る甲信越地方有数の地方都市だ。





ピアハウスには様々な事情を抱えた人たちが顔を見せていた。26歳の時のぼくには、あまり実感のない大人の事情を抱えた人たち。ヨシミさんという40歳くらいに見える女の人がいた。ヨシミさんとぼくが直接話をしたことは数えるほどしかなかったけれど、他の人から彼女の家庭事情や子供のこと、子供の障がいと障がい者年金の不足分のことなどについて聞かされていた。ぼくがちょうどピアハウスは自分の居場所ではないと思いそこから離れようとしていたそんな時期にヨシミさんはふらっと家にやってきた。久しぶりに見たヨシミさんは頭にネットのようなものをしており、ぼくを見ていつまでもニコニコしているのだった。ぼくは恥ずかしくなってヨシミさんの名前を呼んでも、ヨシミさんは何も答えず、最後に「またピアに来てね、みんな待ってるよ〜」と言い残してどこかへ行ってしまった。半年後に風のうわさでヨシミさんが乳がんのため亡くなったことを知った。ピアハウスのみんなはヨシミさんの供養のため、その年のお祭りにメッセージを書いた短冊を何枚も何枚も作ったらしい。


*《至長野》


ぼくの辿ってきた道はけっして美しく彩られてはいない。あの日、あの時に出逢ったさまざまな人たちは未だにぼくの中で煮え切らぬまま燻っている。

下りの電車が終着駅を目指すように、ぼくもまた、この人生を最後まで走り続けねばならないのだろう。途中下車することはいつだってできる。それまではどうか早まらないでおけよ、何かがそう耳打ちしている気がする。

でも、時々はこうやって車窓からの景色を懐かしく見ることだって必要な気もする。どこか寂しげな山国を走る電車に揺られていると、ふとそんなことを考えてしまうのだ。




散文(批評随筆小説等) 山国の車窓より 〜中央線沿線 Copyright 道草次郎 2020-08-04 11:53:50
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