空耳
そらの珊瑚

今年の梅雨明けは遅いですね、と話しかけられた気がして目を開けた。誰も私を見ていないし、ましてや狭いバスの中で他人に話しかけるなど、いまどきともするとちょっとした迷惑ととらがえがちな行動を取る人は少ないだろう。
そもそもバスには数人しか乗っておらず、隣を含め私の近くには誰も座っていない。

ピンポーン。

明確な降車の意思を示す青色のランプが点く。

次の停留所は「こつそうじあけのもんまえ」

機械がしゃべるその言葉が、なぜだか「ことしのつゆあけはおそいですね」と私の頭に変換されたのかもしれない。

こつそうじあけのもんまえに着く。山の中腹で木々の緑しか見えない場所だ。
こつそうじ、は寺の名前だと思うが寺は見当たらない。
あけのもんまえ、は門の名前だと思うが門らしきものも見当たらない。


バスはブレーキの存在を一ミリも感じさせないほど自然に止まる。
扉が開く。けれど誰も降りないし誰も乗らない。

数秒ののち、大きなため息をつき、扉を閉めたバスはのろのろと発車する。
マスクをするようになって言葉が聞き取りにくくなったし、色々間違うことが多くなった。
顔下半分が見えないことで、誰もがあやふやな知らない人に見える。私も誰かのあやふやに知らない人になる。

誰かが降りたかもしれないし、誰かが乗ったかもしれないバスの窓から見える景色は、とっくに梅雨が開けたかのようなまぶしい光にまみれている。

作物を育てていないからか、梅雨明けが遅いか早いかにはあまり関心を持ってこなかった。あれは意味のないちょっとした挨拶なのだと思っていた。
けれど今、空耳がさらに空耳に変換されて「梅雨が開けることはありません」という言葉になることを怖れている。

正午の光があまりにまぶしくて瞼を閉める。架空の底無し沼に沈んでいくような、現実の眠気の中に背中から落ちていく。たぶんまた私は間違うだろうから願わくば楽しい空耳を下さい。







散文(批評随筆小説等) 空耳 Copyright そらの珊瑚 2020-07-20 12:02:44
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