それは広がり続け、そして深くなり続ける、そして二度と狭まることはない
ホロウ・シカエルボク


根源的な飢餓が髄液を澱ませてでもいるように、奇妙な焦燥がゴキブリみたいに心臓を徘徊していた、何度瞬きをしても視界は良好というレベルには至らなかったし、チカチカと水晶体のすぐ側で忌々しい明滅が繰り返された、その度に検死医に瞳孔の具合をチェックされているみたいな気分になった、ペットボトルの水を幾度かに分けて飲み干したけれど、呼吸とともにすべてが蒸発してしまったように感じられた、右手の人差し指と親指の爪の先端をぶつけて音を立ててみた、有意義な行為ではなかったが、だから気晴らしにはなった、左手はずっとやる気を失くしていた、せめてしっかりと呼吸をするべきだと思い、無駄な力を抜いて深呼吸を繰り返してみた、あまり大きな呼吸を意識することはなかった、それは逆に余計な力を込めてしまうから逆効果だという話を昔何かで目にしたことがあったのだ、とても説得力のある文章に思えた、だからずっと忘れることなく留まり続けている、得るべきものは留まる、拙い人生だがそれだけは確かに学んできたと胸を張って言えるだろう、許容することが第一段階になってしまってはいけない、まずはそれが自分にとってどんなものなのか、時間を掛けて考えてみることが大事なのだ、床の冷たさが恋しくなり、顔を少し横にしてうつ伏せに寝た、「ネイキッド・シティー」のジャケットの銃殺死体みたいな恰好だ、理由のない焦燥は重力のせいなのではないか、とその瞬間に思った、なるほど、もっともらしいし、どんな責任をかぶることもない、それはいい落としどころに思えた、すべてを重力のせいにすることにした、重さ、といった方が的確なのかもしれない、仰々しい感じがしないし、なにより分かりやすい、さっきよりもずっとリラックスして呼吸した、すべては重さが存在しているせいなのだ、思考のない簡潔さは愚かしいだけだが、様々な思考の果てに見つけた簡潔さには逆に違和感を覚えるほどのしっくりくる感じがある、もちろん、そんな実感など明日には絵本の中のお話みたいに思えるようなものかもしれないが、それはその日のことだ、重さ、のせいなのだ、じゃあ、体重がある限り仕方がない、結論を求めてしまうのは悪い癖だと思いながらも、時々そんなことに安心してしまう、まあいいさ、矛盾を認めるのは大事だ、本当に人間を成長させるのはそれなのだから、矛盾か、考えてみたらおかしな言葉だよな、矛盾こそが本当は、この世界で唯一矛盾していないものなのに、大多数の人間にはそのことが理解出来ない、こういう言い方がカンに触る人間も居るだろうけど、それはとても数学的で茶番じみている、整合性など無意味だ、式など時間潰しだ、だからこそ人間は生きていられる、人間は混沌の生きものだ、なまじ優秀な脳味噌など持ってしまったがために、本能のままには生きられず、目的や理由を必要とする、「本能に理由を必要とする」きちがいだ、そして、設定したそれに縛り付けられる、お笑い草だ、どうしていつまでもそこに留まってしまうのか?本当は誰しもがどこかで理解しているのかもしれないな、問には終わりがないということを、だから、出来る限り楽な場所に落ち着こうとする、それ以上問を発さなくていいように、それ以上何も考える必要のない場所を早めに設定する、そして、ほっと一息ついた瞬間にぼんやりとした目の傀儡になってしまうのだ、なあ、その目がどうも気に入らないんだよ、そこには生きものである意味がまるで感じられない、生きものであるのに生きてない、それは矛盾として正しいのではないのか、って?まあ、間違いじゃないかもしれないね、だけどさ、言っただろ、簡潔さって実はとても難しいものなんだ、もちろん、それぞれの、個人個人の考え方があっていいさ、だけど、俺としては、数秒で出せる答えにしがみついて得意顔をしてるなんて人生はどうにも我慢がならないのさ、どんなに飢えようと迷おうと、長い時間をかけて歩くべき人生を俺は選択したんだ。



自由詩 それは広がり続け、そして深くなり続ける、そして二度と狭まることはない Copyright ホロウ・シカエルボク 2020-07-10 23:43:16
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