頭の上にかもめが落ちて来る
ただのみきや

むかしばなし

幾千幾万の囁きで雨は静かに耳を溺れさせる
まろび出た夢想に白い指 ほどく否かためらって
灰にならない螢の恋は錘に捲かれて拷問されて
透かして飲んだ鈴の音も夜明けの前に破られる
始まりも終わりも閉じた円の何処か
忘れ去られた約束の
今はもうなくいつまでも
戻らない 面影は
見定めようとすれば淡く朧
忘れようと想えば冴え冴えと
美し空虚一つがぽっかりと満ちも欠けもせず
翼で抱く不器用さ
活けるつもりでただ殺し
這い寄る虫のように化け冥府の星より黒々と
滴る文字だけ点々と




ある愛のはなし

――一生分のまばたきを捧げます
一瞬だって見失いたくないからそう言ったのに
彼女はまばたきの時だけ存在するようになって
以来一度も彼女を見ていない――

彼は覚悟を決めて目隠しをして暮らすことにした
なにもかもが手探りの
小さな事柄一つ一つに躓く毎日
それでも彼女を側に感じて幸せだった
だがある時ふと 疑いが生じ
それは丸太みたいに大きくなって
心は軋み始めた

――今わたしが手探りで愛しているのは
本当に 彼女だろうか
わたしは別の誰かをそう思い込み
抱いたり撫でたりキスしたり
だとしたら どうしよう
目隠しをとって確かめようか
いいや もう遅すぎる
恐くてそんなことはできない
このまま目を瞑り信じてさえいれば
信じてさえいればそれが真実なのだ――

ついに彼は自分の目蓋を糸と針で縫い付ける
愛と安らぎ 常闇こそがそれを保障するもの
そういう訳で今日もその膝には彼女ではない
別の猫がごろごろ喉を鳴らしている




山姫の遺言

名前を付けてあげて
カゲロウの翅で透かした満月色の
発するとトルコ石の指輪が柄杓の水に落ちたよう
朝露が瞼に落ちてキュッと閉じた時の
松葉の香りにちょっと似た
それでいてひとり風の中で感じる寂しさのような
名前を付けてあげて
五感六感の呼ばれるままに
この世界から柔らかな舌で掘り出して
からだを与えてあげて
生まれた友達や恋人は
双子のような分身変化
時を経て
翅も丈夫に乾いた頃
どこか見えないところで鳴いて
呼んでくれるでしょう
まだ耳にしたことのない
懐かしい名前
初めて知るでしょう
創作したものの中に
本当のあなたが隠れていて
あなたをあなたへ誘うことを
やがてあなたはひとつになって
永い蛹を終えて羽化するように
からだも捨てて往くでしょう
言葉も殻のように置き去りして
だから今はただ
名前を付けてあげて
からだを与えてあげて
蜘蛛のように織り上げて
朝露に濡れて息絶える青い蛾のような
震える心臓を宿らせて



                《2020年6月27日》









自由詩 頭の上にかもめが落ちて来る Copyright ただのみきや 2020-06-27 18:29:40
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