Stay Free
ホロウ・シカエルボク


昆虫の呼吸器官は腹の横に空いた幾つかの穴、ラジオでそれだけを繰り返すキャスターの声は重く沈んでいて、何のための放送なのかはまったく理解出来なかった、そんな夢を見たんだ、寝床が焼け付くような朝に
朝食はいつも珈琲とトーストだけどいつものジャムを切らしてしまっていてグラニュー糖をばら撒いて食べた、飛びぬけて美味いというようなものではなかったけどそんなに悪くもなかったよ、少なくとも朝食としてなら申し分ないさ
痴呆症の母親と電話で少し話した、相変わらず電話じゃずいぶんしっかりしてるみたいに思える、離れて暮らしているとおいそれとは分からないことばっかりさ、だけど、だからってどうしろっていうんだ?こっちとしてもそれはどうしようもないことなんだ
洗い物は午後にでもやることにして、街へ買物に出かけた、なにかと進路を塞ぐような連中ばかりでイライラしたよ、銃でも持っていたら一度くらい引鉄を引いてしまったかもしれないな、もちろんバレないように気をつけはするけれど、ああいう時ってどんなに気をつけてもどこかから誰かに観られているとしたもんだよね
ちょっと思ったんだけど、通り魔が殺したがっているのは本当のところ自分自身なんじゃなないのかね、いや、別に弁護をしたいってわけじゃないんだけど、彼らが自分を殺せないのはきっと、語り部としての役割を捨てられないからさ
もちろん殺された連中をないがしろにする意図なんかないよ、彼らは生きている以上にその尊厳を守られなければならない、あまりある未来を奪われた場合なんかには余計さ
いったい死ぬまでに何本の缶コーヒーを飲むのだろうと思いながらマスクをずらして飲み干した、別になくて困るものじゃない、けれどそんなもののほうがもしかしたら、習慣としては定着しやすいのかもしれないな、些細なことにはリズムが生まれやすいからね、考えないという理由のみで
見慣れた街を歩いていても、ふとした拍子にそれが、まるで知らない街のように思えるときがある、それはずっと錯覚だと考えていた、でももしかしたらそこには明確な原因があって、こちらがそれを理解出来ていないのではないかと考えるようになってきた、たとえばそこを歩いている人間の質がまるで変ってしまったりしたせいなんじゃないかって
昔はこうだった、なんて話をするつもりはないよ、だけど、明らかに人間は少し駄目になってしまったように思える、何かを食べながら歩いているやつを見かけるようになったのは確かここ十年くらいのことだ
自分が思考するレンズのように思えるときがある、それは別に特性じゃない、居つくべき場所が対象の中にないだけのことさ、自己を失っていないものたちは、多かれ少なかれそんなふうにスライムみたいな社会を見つめているんじゃないのかな
好きだった喫茶店の空家が取り壊されて更地になっていた、なんて味気ないんだろうか、最後に残るものは雑草にまみれた砂地ばかりなんだ、いつだってどこだってそうだ、ずっと、ときの流れなどなかったみたいにその場所でいつもイライラしてしまう、使われていないからといって無意味なものでは決してないのに
質はどうあれ、主張さえすればなんとかなると考える連中がずいぶん増えた気がする、一四〇文字のマジックがそこいらで蔓延してるのかね、小さな枠でしか吠えられないような惨めな連中たちの文化
暑いからって窓を開けっぱなしにしておくのはやめた方がいい、覗き趣味の年寄なんて最近じゃ珍しくない、あいつら、暇さえあれば覗こうと鼻息を荒くしているんだぜ
ミノムシのように薄汚れた布を見に纏った老婆が駅前広場で訳の分からないことを叫んでいる、それはいつかには予言だったかもしれない、警告だったかもしれない、そうさ、神の言葉を伝える係はいつの時代にだって居たんだ、だけど、近頃じゃそういうのはみんな、鍵の掛かる病棟に連れて行かれてしまうのかもしれないな、ねえ、俺の弟に会ったらよろしく言っといてくれよ
夕方、湿気をたっぷりと含んだ熱が住処を床下からなぶって来る、イライラしながらエアコンの温度を一度下げる、やけに縦に長いこの家じゃ俺の部屋まではエアコンの風は満足に届かない
俺は懐かしい歌を口ずさむ、音楽はいつだって流れているじゃないか、人間はどんどん記号になろうとしている、そこにどんなものが隠れていても気にすることもない、街は清潔に薄汚れている、自我のないやつらが世論に操られてゾンビのようにフラフラしている
DVDを垂れ流しながらまるで違うことを考えていた、この世はまるでパニック映画さ―そんな映画の主役と、脇役と、モンスターの差ってどういうものか分かるかい?


それは、いつだって理性的に生きられるかどうかってことなんだ



自由詩 Stay Free Copyright ホロウ・シカエルボク 2020-05-24 22:06:28縦
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