現実だってたぶんまじないみたいなもん
ホロウ・シカエルボク


盗人のような夕日が、薄曇りの空に紛れてゆっくりと沈んだので、俺はまるで破産した大金持ちのような気分で遮光カーテンを閉じた、喰い過ぎた晩飯がウェイトになって胃袋に伸し掛かる、だからイヤホンを突っ込んで感覚をほんの少し無効化することにした、出来れば少し消化するまで待ちたかったけれどすべてを望み通りに叶えることは出来ない、間違えて買った蛍光灯は部屋のすべてを照らすことが出来ない、ディスプレイを見る分には困りはしないけれど…若いころにブルースだと思っていたものは、いま聴いてみると意外とブルースとは言えないものだった、だけど、だから良いとか悪いとかって話でもないさ―いろいろな事柄が足踏みをしている、上手く事が運ばないけれど俺だけの話じゃない、苛々するのは筋違いってもんだ…昔のことなんて覚えてるようで意外と覚えていないものだ、俺は人よりは余分な記憶をたくさん抱えているらしいけれど、そんな俺にだって記憶の片隅にも残っていない出来事はあるさ、不意に押入れの隅から出て来た写真なんかが、そんなことを思い出させてくれることもある、そんなとき俺は、決まってもどかしい気持ちになるんだ、その写真が俺よりもずっと、その時のことを覚えているような気がしてさ、写し取られた俺の絵が、俺よりもずっと―まあ、だけど―一度忘れてしまったものは、たぶん二度とリアルな感触にはならない、そう思わないか?誰かから思いもよらなかった自分の過去を聞かされて、それ本当に俺か?って聞き返すときあるだろう、そんな時教えてもらった自分の絵は、いつまで考えてみても自分そっくりな姿にはならないはずさ、まあ、どうでもいいことではあるけどね、なんだか今日は救急車の音があまり聞こえないな、大通りに面したこの家じゃ、ひっきりなしに路面電車と救急車の音がこだまするものなんだが…まあ、たまにはそんな日があってもいいのかもしれない、救急車の中でなにが起こっているのかなんて、外に居る連中には分かりはしないものだしな、ああ、人生で何度か、救急車に乗せられたことがある、一度は病気で、あとは全部交通事故さ…滅多に事故に遭うことなんかないんだけど、ある年に三度、立て続けに事故に遭ったんだ、まるで呪われてるみたいにさ、一度なんかどこかの家に突っ込んでさ、右脚にはその時処理出来なかった硝子の粉がいまでも閉じ込められてるはずだよ―その次のは酷かった、左脚の膝関節上部がグズグズになってさ、もし事故直後に歩いてたら左脚がほんの少し短くなってたらしいよ、おかしなもんだね、痛みはそんなになかったのに、俺絶対に左脚を下ろさなかったんだ、ああいう時って本能で察するんだろうな、三ヶ月感ギプスで過ごしたよ、固定されたままだった脚はほんの少し細くなってた、あっという間にもとに戻ったけどね…ああ、なんだかつまらない思い出話になっちまった、人生が更新されていないわけじゃないんだけどな、だけど今日はどうもそういう日みたいだな、写真の話からこっち、ずっと思い出話ばかりしているよ、そう―強烈過ぎる思い出は逆に、記憶という枠を飛び越えるよな、いつだって昨日のことみたいに蘇ってくる、そんな瞬間がある、俺にとっちゃそうだな、ミック・ジャガーのハモニカの音色とか、パティ・スミスの歌ったフェイド・アウェイとか…上手くいったときの朗読とかさ、そんなもんになるな、人によってはそれは、悲しい思い出ばかりになるかもしれない、そう…身内が死んだときとかね―そういえば父親が死んだときの記憶って、病室で対面した時よりも、そこに向かうまでの午前三時のガラガラの大通りのことが鮮明に思い出されるよ、昼間はごちゃごちゃに込み合う通りなんだけどね、あの時は、ろくにブレーキを踏むことがなかった、月が綺麗に出ていて―こんな話しててもしょうがないか―俺たちは記憶で出来てる、こんなことばっかり話してる夜には特にそんな風に感じるよ、だけど、記憶ってのは意外と裏切るからな、あんまり信用しちゃいけない、誰かに訂正されたら、ああ、そうだったかもしれないな、くらいで片付けておけばいい、どうせそれは見直したり訂正したり出来るようなもんじゃないんだ、写真に語れるのは何色の服を着てたとかってことくらいさ、なあ、記憶にとらわれてがんじがらめになるのは良くないぜ、俺たちはある意味近い過去意外に確かなものを持っては居ないかもしれないが、だけどそれだって連続的に上書きすることが出来るんだ、感覚って意味でいえば、俺たちは毎秒死んで生まれ直しているのかもしれないな、そう考えてみなよ、自分なんてそんなにこだわるほどのもんじゃないのかもしれないなって気分になってくるから。



自由詩 現実だってたぶんまじないみたいなもん Copyright ホロウ・シカエルボク 2020-05-17 22:07:41縦
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