震え
ブッポウソウ

 瓜田リウはストーカーである。正確には市の市民生活部共生局共生推進室特別調査員である。共生推進室とは「みんなも、みんなじゃないひとも」をスローガンに、深刻化する住民の孤独の問題に取り組むべく設置されたものである。調査員の業務は、日々孤独を感じている住民の心身の健康と安全に寄与する種々の「支援活動」を行うことである。なかでも支援対象者の具体的な生活実態を特別に調査し、よりきめ細かく行き届いた特別の支援を行うのが特別調査員の業務である。
 しかし調査に基づく支援というものは、真にそれを必要としている人にとっては往々にして利用の難しいものだ。よってこの特別調査および特別支援は対象者に秘密で行われる。早い話がストーカーである。もちろん表向きにはストーカーではない。しかし実際の業務は、明日のにわか雨に備えて対象者に傘の携行を促す、対象者の興味に適いそうな各種情報を提供する、靴の中に励ましのメッセージを忍ばせておく、鞄の中の傾いた弁当箱を水平に直す、等である。それと悟られずに、である。

 リウは特別調査員六年目である。今までのべ四十二人の対象者の支援にあたってきた。成功と認められた事例もあればそうでない事例もあるが、その評価は非公開であるために成否の基準も不透明である。評価に納得がいかないこともある。失敗事例の中にはあやうく「身分露見」に至りかけたものもある。これは特別調査員にとって御法度とされるものだ。市が、調査のために職員に条例違反行為を行わせていたとなっては、支援制度のあり方が、ひいては共生推進活動の存在意義じたいが、問われかねなくなるからである。
 身分露見と相成ってしまうと最悪の場合たんなるストーカーとして訴追される。虎穴に入らずんば虎児を得ず、真の支援のためには条例違反も辞さず。「特調」とはそういうしごとなのだ。業務負担の過剰は常態化している。社会の荒廃はいっそう人心の荒廃を促進し、調査員一人あたりの担当件数は増加の一途を辿っている。それでいて要求される支援の質は高度化する一方である。調査員の増員や育成制度の拡充も検討されてはいるが、業務が業務なだけに難航している。

 リウはたどり着いた自宅賃貸マンションの玄関、といっても床材の種類と微小な段差とでかろうじてそれと判別できるに過ぎない程度のものだが、の付近の床に、ナイロン製の黒い背嚢を背負ったままぺたりと座り込んでいる。帰りに立ち寄った深夜営業のスーパーマーケットで購入した物品を傍らに放置したまま、ほどいた髪をざんばらにしたまま、利き手の人差し指から小指までの4本の指と手のひらとでスマートフォーンを把持し残る親指でガラス画面を上方から下方向へゆっくりと撫でている。流れていく文字の列、風景や飲食物の写真、各種の掲示物等を、白眼勝ちの目で追っている。今日は終日横になっていた、メール開けない、怖くて布団かぶってる、ハウスオブスイーツアンドドールズのジェムジェムジェリージェル食べた、期間限定全話無料公開、死にたい、新刊届いた、汗かいてる、猫もんでる、描いた、つらい、推し、打倒、無理、薬、待ってる、おれです、ここはあたたかい、、、。
 省電力と虹彩保護とのために輝度を落としてあるその画面上の、愛情や好意を表すヒトの心臓を象ったものと思しき記号に、リウはときおり親指でふれる。記号が赤く点灯する。同時に手の中のスマートフォーンが「ヴッ」と短く、しかしある強さをもって震える。この震えこそがリウのすきなものだ。これこそ日々の業務という名の苦役から解放される瞬間、瓜田リウが特別調査員でなくなる瞬間、「ロボットプリン@amaiyo_amai」という名の、ほんとうのストーカーになれる甘美な瞬間!その震えはまるでわななく肩にそっと回される悪魔の腕のように、リウの震える親指に ーリウの手もまた震えているー、4本の指に、手のひらに伝わる。わたしの震え。おまえの震え。
 そしてリウにとってはじゅうぶん不思議なことに、特別調査員でなくなる束の間、リウはこのしごとにめぐり会えて本当によかった、わたしは本当に助かった、と思うのである。わたしがこの世に繋ぎとめられているのはこの瞬間があればこそ、この常軌を逸したともいえるしごとがあればこそ、そしてその嘘の糸をたどってもっと嘘な世界へ越境する瞬間があればこそだ、という気持ちに満たされるのである。

 鉛白色のリウの白目はいまや銀色に光っている。暗いガラス画面の向こうの記号化された四十二人の支援対象者と元支援対象者たちをとらえている。


散文(批評随筆小説等) 震え Copyright ブッポウソウ 2020-05-17 13:42:26
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