子供の頃駄菓子屋で
こたきひろし

子供の頃に母親の財布から小銭を抜いた。
母親はそれを知ってか知らないか何も言われなかった。
勿論、紙幣には絶体手を出さなかった。バレてしまうし、それ以上に私んちが貧乏なのはイヤと言うほどわかっていたから気が咎めたのだ。

財布から抜いた小銭で家の近くにあった、周辺で一軒しかなかった商店で駄菓子の籤を引いた。
束ねた紐の先が隠れていて、その内の一本を引くと当たりと外れがあった。

子供相手の商売だから紐の先には何かしらの駄菓子は付いている。一寸お高めの駄菓子が当たりでそうでもないのが外れになってた。

子供心にも当たりと外れに期待するドキドキ感からやって来る興奮と緊張感がたまらなかった。

それがしたくてそれが欲しくて母親の財布から小銭を黙って抜いたのだ。

引いた籤はほとんどが外れだった。

ある日小学校を早退して帰ってきた。気分が悪くなったからだ。家から学校までは四キロ近く離れていた。そこを毎日徒歩で通学していた。余程の悪天候でない限りバスに乗らせては貰えなかった。

第一、交通の便が悪くバスは一日に数本しか運航していなかった。だからたとえ朝一番のバスに乗ったとしても帰りは適当なバスがないから歩くのを余儀なくされた。

学校で体調に異変が起きてもそれは変わらなかった。たとえ親に連絡しても親にも交通の手段はなかったのだ。それに連絡したくても電話のある家は皆無だった。と思う。

先生の許可を得てから下校した。校舎は木造の古い建物。その敷地から出て道を歩き出すと解放されて嘘のように気分が晴れてきた。
舗装されていない県道をいつも通り途中で休んだり橋の上では欄干に寄りかかって恐々川を除き込んだりしながら家に着いた。

私はその日悪い籤を引いたのかも分からなかった。
後ろめたい気持ちもランドセルの中に積めながら昼下がりの時間に家にそっと入ると想像していなかった光景を見てしまった。

なぜか母親が両の乳房をさらけ出していた。
そこは囲炉裏の側だった。
父親がいた。母親の乳房を触っていた。

それは子供が見てはならないものだと私は束の間に悟った。
父親も母親も気分が昂っているのだろう。
我が子の帰宅に気付く気配はなかった。

私はけして気付かれないようにと息を殺した。
そして家からそっと出た。

ここにはいられないと思った。
何処へ行けばいいだろうと迷った。
仕方なく宛土なく家の周辺をさ迷うように歩いて回った。

私は悪い籤を引いてしまったとしか思えなかった。
男女のまぐわいを薄々想像してはいたけれど、自分もそのまぐわいの結果だと知ってはいたけれど、実の父母のそれは見たくはなかった。

さ迷うように歩きながら
私には少なかざる興奮と緊張感がみなぎっていたのは
否定できない。


自由詩 子供の頃駄菓子屋で Copyright こたきひろし 2020-05-10 08:11:27
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