春風に吹かれてる
石村



《なんてこたあ ないんだよ》

翼をたたんだカラスがうそぶく

電柱の上に ぽつつりとまつて
さうやつて 世の中をみおろしてさ

ほら ちよいと
武蔵の絵みたいな
構図ぢやないですか

 ご機嫌よう
 今日はいいお日和で
 何か面白いお話でも

《さみしい男と
 かなしい女が
 ゆきずりに出会つて
 どこかにしけこみ
 二升五合を熱燗で空け
 骨がとけるまで愛しあつたあと
 うす霧ただよふしづかな朝に
 近くの岬から身をなげた》

 ほほう

 そいつは何とも
 おきのどく

《さうでもないよ
「わたし 誰よりも 幸せだわ」
 といふのが
 かなしい女の
 さいごの言葉さ》

 ははあ
 さうですかい
 で さみしい男は何と?

《さあね 知らんよ》

ほつぺたを掻きながら
長生きのカラスがまたうそぶく

《なんてこたあ ないんだよ》

さうかもね
なんてこたあ ないのかも

どのみちさみしい境涯で
どのみちかなしい人生だ

幸せなきぶんで あの世に行けるなら
それに越したこたあ ありませんわな

それにしてもだ
さみしい男はどうしたんだ

幸せになつちまつた女と
春の海に身をなげる前に 何かしら
気のきいた科白のひとつでも
のこしたのか
のこさなかつたのか

行きずりの女とひと晩愛し合つて
ちつとは気が晴れたのか それとも
さみしい男はやはり
さみしいまま
だつたのか

どうもそいつが
気になつて
しかたないのだが

カラスはそつぽ向いたまま
うす雲たなびく空の下
春風に吹かれてる



自由詩 春風に吹かれてる Copyright 石村 2020-04-01 14:34:35
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