メモ(東北)
はるな


ばらばらの時間を指して止まっているいくつもの時計たち。食器棚は四つもあって、そのすべてにぎっしりと食器がつまっているーたいていが五つ揃えで、花柄で。商店名の入ったカレンダーや手ぬぐい(開封されていない)、人形、人形、うすくほこりの積もった写真。夫の祖母は二月に死んでしまった。気丈な人で、しっかり者だったが、体調を崩して半月ほどですっといってしまった。亡くなる前の晩も家族に電話をして、「それじゃね、元気でね」と言っていたらしい。
葬式、法要をする寺の床の渦巻き模様に沿ってぐるぐると三周回ってから方殿に入った。お骨を持った夫の母の手、疲れてぐったり眠る子供たち。こんなに寒くて曇った日に、額に汗をじとっと浮かばせて寝ているから。
四十九日もすまないうちに、今度は夫の父親が亡くなった。癌になって三年目で、年明けから弱っていて、自分の母親の葬儀にも出られなかった。電球がちかちか点滅するように、息を吸ったり入ったりする感覚がだんだんにながくなって、そうして死んだ。その三日前に夫の運転で見舞った病室で、細くなったその人をみて、夫の祖父(つまり夫の父の、父親)は「がっちりした人だったけどもなあ」と言っていた。息をすう度に持ち上がる胸はうすくて、でもきちんと吐き出すのがおどろきだった。死が病室のどこにもうすく存在していた。生きていることと死んでいることが混ざり合っているのだった。痛みのためか、ときどき上に持ち上がる手は肉が落ち、指が長くみえすぎて骨を思わせた。春分の日で、東京の晴れを逆さにして振り回したような天気の東北、こまかい雹がふっていた。



散文(批評随筆小説等) メモ(東北) Copyright はるな 2020-03-26 10:43:19
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