からっぽの世界
ホロウ・シカエルボク

海岸に流れ着いた死体は
名前のないまま葬られた
世間から隔離された
小さな漁師町の住民たちの優しさは
どちらかといえば退屈から来るもので

テツは一五歳
マチは一六歳
ラノは一四歳だった
テツは男で
マチとラノは女だった
それがこの町の
未来のすべてだった
あとは八人の大人と
十二人の年寄がいるだけだった
あらゆる金属が歴史と潮風によって赤黒く錆び
あらゆる家屋の骨格は激しい海風によって傾いでいた
テツとマチとラノには生まれたときから運命があった
三人でこの町の未来を担うという運命が
身体が出来始めるとすぐに
町の端っこの空家に移され
三人でとにかく子を作るようにと教えられた
飯は誰かが必ず世話してくれた

三人が三人だけの家に移されて二年後
マチがまず身籠った
マチの母親が来てマチを一度生家に戻し
その間テツとラノが二人きりで暮らした
マチの子が生まれ
マチが帰る頃に
ラノも子を授かった
ラノの母親がラノを生家に連れ帰り
テツとマチは二人きりで暮らした
そんなふうにして七年ほど経つと
小さな漁師町には子供のはしゃぐ声が響くようになった
テツとマチとラノはあまり頑張らなくてよくなった
少なくとも今居る子らがある程度育つまでは

テツとマチとラノは働かずともよかった
町のものたちは彼らを有難がった
「お前たちはわしらが一生食わせてやるからこの町で好きに生きろ」
「生きている間子供を作り続けて、この町に預けろ」
「有難いことじゃ、お前らは町の救い主じゃ」
テツとマチとラノは彼らの喜ぶ姿を見るのが好きだった
それが自分たちの使命であるのなら全うしようと考えていた
生まれたときからそんなふうに教えられて育った
それがおかしなことだなんて夢にも思わなかった
時々子供を作っては町のものに育て方を習いながら過ごした
二十年が経つ頃には町はかなり賑やかになっていた
男たちは新しい船を作り
海に出て沢山の魚を取ってきた
女たちはそれを捌き
必ずテツとマチとラノの家までおすそ分けを持ってきた
「お父さん、お母さん、今日のお魚です」
皆がそう言って持って来てくれた
テツとマチとラノは
街に溢れる若者たちを見ながら
これが皆自分たちの子なのだと
なにか信じられない気持ちで毎日を過ごすのだった

大人は次第に年寄になり
年寄は静かに死んでいった
もう少ししたらこの町は
テツとマチとラノの子供らばかりになる
子供らも年頃になり
そこいらで子供が生まれるようになった
テツとマチとラノはもう子を作ることもしんどくなっていたから
彼らとともに彼らの孫を育てた
人が溢れ
古かった街並みも次第に建て替えられた
テツとマチとラノの家も
若者たちが新しいものに変えてくれた

何時しか魚が取れなくなり
若者たちは仕事を求めて賑やかな街へと出向くようになった
彼らが行き帰りすることで
小さな漁師町にも文化が取り込まれた
町は明るくなり
都会から移住してくるものもいた
何年も何年もかけて風景は様変わりし
やがて港は観光客を受け入れるためのものになり
漁師たちの仕事場だった場所には地元の魚料理を出す店が出来た
でも魚は他所から車で運ばれてきたものだった
テツとマチとラノは子供らに連れられて
その店の第一号の客になったけれど
少しも美味いと感じることが出来なかった
マチは塞ぎこむことが多くなり
そのうち自分の名前も思い出せないようになった
テツとラノは
マチではなくなったマチを優しく見守った
どのみち彼らにはそれしかすることがなかった
やがてマチが死に
照明が明る過ぎる公民館で葬式が行われた
子供らはテツとラノを出来る限り気がけてくれたが
以前のように自由に振舞える時間が少なくなっていた
そのうちテツがある日突然倒れ
少しだけ血を吐いて動かなくなった
脳梗塞だった

ラノはたったひとり残され
二人がいた場所を眺めながら毎日を生きた
時折窓の側に椅子を持って行っては
もはや自分らの故郷だとは思えないほどに様変わりした町を見つめた
(私らはこんな未来のためにここで生き続けたのか)
希望だったそれはいつしか絶望へと化けていた
ある年の冬の夜中
ラノは窓の側で
カーテンに火をつけた
燃えていく三人の人生を見つめながら
泣き喚き笑いながら焼け死んだ
彼らの家は町の外れにあったから
火が大きくなるまで誰も気づかなかった
みんな年老いたラノが不注意で火事を起こしたのだと思った

ラノの葬式が終わり
埋葬が済むと
町の人間たちはあれこれと話して
テツとマチとラノの家の残骸を片付け
一度更地にしてから公園を立てた
展望台のある公園は観光客を喜ばせた



それからほどなくして
町は名を変えたということだ




自由詩 からっぽの世界 Copyright ホロウ・シカエルボク 2020-03-22 23:46:26縦
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