氾濫と反乱
こたきひろし

現実だったのかそれとも非現実だったのか

その思い出は曖昧でした
曖昧でぼんやりしていながら
自分の知らない内に
いつの間に記憶の紙面に刷り込まれていました

私はまだ小学校に通っていました
五年生か六年だったような気がしています

家の近くには川が流れていました
歩いて数分もかからない所でした

実家は山間の辺鄙な場所にありました
旧くて粗末な農家には七人が棲んでいました
両親と兄が一人姉が三人
そして私でした

川が近くに流れていたのでいつも絶えず水の音が聞こえている筈でしたが
すっかり耳が慣れてしまい無意識になっていました

普段は水深も浅くて川幅も狭い小さな川も
毎年の九月か十月辺りの台風シーズンには水嵩は増して川幅も広がりました
水色は濁り、上流から塵や芥を押し流して来ました

酷い時は
途中、岸辺の山肌や田んぼを削りとりました
巨大な蛇へと変貌してとぐろを巻くように激しく流れました
周辺の住民をその度に自然の怒りに茫然とさせられました

その日
台風が過ぎ去った後ですっかり天気は回復していました
私は川の様子を見たくなってしまいました
それは両親からきつく止められていましたが
怖いもの見たさを抑えきれなくなってしまいました

私は友だちのいない子供でした
友だちの出来ない子供でした
友だちを作れない子供でした

だからいつも一人で遊んでいました
そんな私は
家族の中でも浮いた存在になっていました

家族同士の団欒や会話にも入れなくて
内気で無口な子供になっていました

私は家をそっと抜け出しました
嵐が過ぎ去った後の空気は新鮮で実に真っ青な空でした

家の前の細い道は直ぐに両側を田んぼに挟まれました
田んぼと田んぼの間の叢の間はかろうじて道になっていました
その方へ草を踏み分けながら入っていきました
間もなく田んぼ沿いに土手が続いてその向こう側が川でした
土手には篠竹が鬱蒼と生い茂り、他にもわけのわからない雑草が入り雑じって
視界は妨げられました

川を眺める為にはそれらと闘い制しなければなりませんでした
その時近くに子供の声が聞こえてきました
思わぬ先客がいました

複数の様子でした
二人か三人だと感じました
幸い私の存在に気づいてはいませんでした

知らない子供のようでした
聞き覚えのない声ばかりでした
歓声をあげてました
川を覗いて驚きの声をさせているに違いありませんでした

ただ鬱蒼と生い茂る篠竹と雑草に隠れて何処にいるのかわかりません
私も早く川を見たくなりました
でも他の子供らに気付かれさとられなくはありませんでした

音をたてないようにして篠竹や雑草を掻き分けてたら
突然眼下に激流が見えました

驚いた事に激流は土手の高さのギリギリを流れていました
私は足がすくみました
一歩先で足を踏み外したら落ちて流されてしまうに違いありませんでした

その瞬間に悲鳴があがりました
見ると
子供が一人落ちて必死に助かろうともがきながら激流に流されてしまい、その姿は直ぐに見えなくなってしまいました

私は恐怖に打ちのめされてしまいました
私は直ぐにもこの場所から立ち去るべきだと本能的に感じました

なぜ、どういう状況でそうなったかなどどうでもよいと思いました
現実が全てでした
目の当たりにした恐ろしい光景を視界から振り払い
逃げ出すしか思い付きませんでした

そして私の子供心はそれを一刻も早く誰か大人に報告するべきか
それとも何もなかった事にして口をつむいでしまうかの
どちらかの選択を迫られてしまいました

報告するとしたら父親以外あり得ませんでした
頑固一徹で厳格な父親に

私は大慌てで家に帰りました
血相を変えて息も荒げていた私の顔を見て
父親が聞いてきました
どうしたひろし?
私はその時何も言いませんでした
相も変わらない父親の存在の前に
言葉をなくしてしまいました

その日から何日かして
下流にあるダムの辺りで子供の水死体が釣り人に発見されました
水ぶくれになった遺体は至るところ損傷があって
酷い有り様だったようでした

地方紙の三面の片隅に載ったみたいですが
私は読んでも見てもいません

私の遥か遠くの記憶の中に
黒い染みになって残っていますけど
可能なら拭き取って消してしまいたいです

消してしまいたいのですが
それが果たして現実だったか非現実だったのかの区別が
つかなくなってしまっていて

もしかしたら私は大きな思い違いをしているのかもわかりません
あの日
あの時
激流に落ちて飲み込まれたのは他の子供ではなく
私自身で
いまだにその現実を受け入れられずに
霊魂のままにさ迷っている存在なのかもしれないからです

それは夢と現の間を襤褸みたいに



自由詩 氾濫と反乱 Copyright こたきひろし 2020-03-21 08:34:20
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