人さらいの街
岡部淳太郎

街をつめたい風が吹き
あたりが暗くなって 物のかたちが歪んでくると
人さらいが暗い影とともにやってくる
街外れの電燈もまばらな古い家々のどこかで
妙な臭いの鍋がぐつぐつと煮られ
風に乗ってどっと笑い声が聞こえたかと思うとすぐに消え
また静寂が通りを包みこんでゆく
人通りまばらな路地の奥で 見捨てられた猫が鳴く
その猫には尻尾がなく
毛は毟られたように乱れている
門限を忘れた子供が一人
急いで通りを駈けぬけようとして
黒づくめの服の紳士にぶつかり
あわてて頭を下げてまた走り出してゆく
鍋がぐつぐつと煮られる臭いは街の空気まで浸食し
つめたい風に乗って家々の軒先にまで届こうとする
人さらいが足音も立てずに街中を徘徊する
掲示板の貼り紙は古くなって黄ばんでおり
端が剥がれて風に揺れている
通りの店のほとんどはもう何年も前から締め切られたままで
人々の心も閉ざされて 開けているものは
もう何ひとつ残っていないかのように見える
街を流れる小川は悪臭を放って淀んでおり
それはどこかで煮られる鍋の臭いと交じり合ってゆく
その川にかかる橋のすぐ傍で
壊れかけた電燈がちらちらと明滅する
あたりはもうすっかり暗くなって
物のかたちも人のかたちもわからなくなって
そんな時に人さらいがやってくる
街のあちこちで 孤独な
一人きりの子供がそれぞれに道に迷って
家に帰るすべを失って
それでもなんとか家までたどりつこうとして歩いている
遠くの山で鴉が啼くと それを合図とするかのように
夜の帳が落ちて 星がいっせいにまたたき出す
空の真中に大きな穴が開いたように見えたが
周囲が暗く穴自体も真っ暗なのでわからない
鍋は変らずにぐつぐつと煮られつづけ
その傍で老婆が曲がった腰をさらに折り曲げる
人さらいは自らの暗い影よりもさらに暗くなり
地下の思念のようになって街をさまよう
黒づくめの紳士が左手の杖で 何かを探るように
地面をこつこつと叩きながら歩く
街はすっかり暗くなって
物のかたちも 人の心のかたちも歪んで
次第に見分けがつかなくなってくる
つめたい風は勢いを強めて吹いて
錆びた空き缶や街路樹の根元の枯葉を運び去る
乗り捨てられた自転車の車輪がからからと回っている
街外れの神社の境内には何者の気配もなく
そこで起こったとされる悲惨な噂話の残り香を
迷いこんだ野良犬が嗅ぎまわっている
街とその周辺の闇はますます深まって
人さらいは自らの影の中に身を隠す
閉ざされたものは さらにきつく閉ざされてゆく
ある子供はなおも街角で迷い
別の子供は自宅の寝台の上でふるえ
母親は夕食の支度の合間に昨日の新聞を開いて
そういえば確かに街外れのあの橋のたもとで
事件があったなどと思い出したりする
街は閉ざされている
人も閉ざされている
人はみな何もかもを忘れようとする
忘れられたものたちがばらばらになって
街のあちこちに散乱している
つめたい風が吹いている
雲が動いている
その間から星が見えている
鍋がぐつぐつと煮られている
人さらいがやってくる



(二〇一四年五月)


自由詩 人さらいの街 Copyright 岡部淳太郎 2020-03-01 00:03:13
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