行方知れずの抒情 ニ
ただのみきや

梯子

高く伸びた梯子があった
青い空の真中に突き刺さり梯子は行き止まる
果て無きものに接した微かな上澄み
触れていることすら定かでなはない
その虚無の厚みの中
降り立つ場所もなく
冷たすぎる大気と眼裏まで覆う光ばかり
鳥のように翼を持ってはいない
ただそこにしがみ付いて居続けるか
登って来た梯子を一段ずつ下って往くか
ロケットが飛ぶ時代
高く伸びた梯子がある
天から降りて来た梯子ではなく
地から伸ばした梯子だった
己の殻を破って魂の飛翔を待つ
そう言った人たちの
干乾びた抜け殻一つ残っていたためしはない




消失

煙る海原の飽くなき餓えが白く歯牙を立て
衣を脱いだ月が眼差しの禊に震えるころ

逃亡者は帰郷する忘却の地から
振り返れば閂を下ろした大地に降り積む鎮魂

目を見開き 口は閉ざしたまま 星のよう
すでに滅び 尚もそこに在る者たち

あの夏の 影を失くした蝶 狂ったトリル
色香の渦は息絶える 薄化粧の掌

あなたの白鍵 ひとみの黒鍵
指輪の箱に仕舞われた黄ばんだ乳歯

幻すら去った朝 静物として残っていた
隠されたままの主題がいつまでも支配する




過失

誰かが放った銃弾が双生児の片方の心臓を打ち抜いた
銃を撃った者の心に何かの大義や正義があったのか
定かではないが
双生児を撃つつもりでなかったことだけは確かだった
衝撃と苦痛 恐怖と悲しみ そうして死が浸透し
一連なりの身体に共有されて往く
二人の内の一人が死に一人が生き残ったのか
もともと一人だったものが半身を失ったのか
当人にもはっきりしなかったことだろう
不幸な事故とも重大な過失とも言われた
重い刑罰を求める人々も大勢いたし
法改正とか そもそも論が語られもしたが
銃弾は無垢で過失も過ちもなく
撃ち出されたまま弾道を変えず的を射貫いたのだ
生き残ったもう一人の方も
意識不明の重体が続いていると報じられたし
二年後に自殺したという話も伝わっていたが
今に至るまで元気で暮らしているという説もある
だがもう数十年前の話だから
すでに死んでいてもおかしくはない
この話自体がデマであったと言う人もいる
だが似たようなことは幾らでも起きてはいる
極めて意図的に空爆も行われたりする




フロントガラス

西日が溢れ
居場所を追われた眼は沈む
火の中の胡桃

この雪もまた
述べることは叶わず
力尽き 透けて流れ
微かな囁きすら
意を結ぶこともなく涙となって

目を細めれば放射状に伸びる
線香花火
もうすることはない
今は車中から見つめる
橙色の街灯だけ




情緒の行方

葬儀の読経の最中
叔母は袱紗をわたしに手渡した
中には小さなアンモナイトが一つ
とても冷たかった
少女の叔母を雨が鳴らし続けている
どこまでも透けて消えてしまいそうだ

お茶を飲みながら
祖母の黄色く欠けた爪を見る
かつて麦を踏んだ素足
潤んだ土の匂い

凹面は深く己を咬む
大部分のものを失くしてしまい
別人としてペンは戸惑いながら
虚空の痛点を探っている
レコードには
繰り返す詠嘆のノイズばかり
最初から何も音は入っていなかった
刷り込まれた抒情
情緒の傾斜角

何十年も前の古い漫画雑誌が
いつまでも祖父母の家にはあった
繫がりも続きもわからない
連載漫画は
断絶し化石化した数頁の
詩に似ていた
記憶と共に灰になって戻らない




時計

時計は生きてはいたが針を失っていた
いまは何時でもなかったし
また何時でもありえたのだ
ものごとのタイミングは個々人で計るしかなく
もはや誰の役にも立たない存在になっていた

時計は生きて鼓動していた
たえず何時でもありえたし
もう変わらずそのままだった
時計は考え始める
――時間とわたし どちらが先に存在したのだろう




空気の詩

空気には詩が書かれていて
淡々とした叙景詩にもそこはかとなく
また叙事詩の人物の言葉の中にも
確かに抒情はあるのだが
――彼女は空気が読めない
すべてが外国語のよう
虚空に響く緩んだ弦
だからいつまでも愛の詩を捧げられる
赤の他人のあなたに




                 《2020年2月23日》










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