ごめん。私、『無尽蔵』なもので。
秋葉竹

ま〜えに、ある(尊敬するに足る、ホンモノの)詩人さんに褒めてもらった(?)言葉に、(詩想が)『無尽蔵』ってのがあって。
そんな、無尽蔵だなんて人間、いるわけないじゃん、とか思いながら、詩を書いてきた。
いっぱいいっぱい、書いてきたら、ひとつの真実が見えた気がした。

寂しさの数だけ、詩は書けるんだ。

私、実は、『無尽蔵』だったよ。

寂しさだけは、無尽蔵に、この身に染み込ませていたよ。

そんで、ふと思ったのは、そんな自覚で、まぁ、よくぞ生きていられるなぁ?

でもね、人って、死なないように出来ているし。
けっこう、ねちっこく、生きて行くものなんですよ、ねぇ?

私は、戦争体験はありませんが、その場に立てば、落とした飛行機(殺した人)の数を星マークにして、撃墜王と呼ばれるとか、そんなのに憧れる自分もいたりするかもしれません。

いまの若い子たちは、人の命をゲームの中のことのように考えてるから、あんな悲惨な事件が起きるんです、とか?
いや、でも、あの頃は、そんな年齢の子供が、実際に英雄になりたくて人(敵兵)を殺そうとしたからね。

なら、だ。
それなら、私たちも、同様な振る舞いをするだろう。その場に立てば。
《殺さなきゃ、殺される》のなら、死にますか?
生きるために、殺しますか?

しかも殺す側には、お国のため、って美辞麗句まであった日にゃ〜、よ?

おそらく、だが。

殺すだろーさ。

話はここに、至るわけだが、「そんな状態でよくぞ、生きていられるなぁ」って、実は、どんな状態でも、人は生きて行くだろうさ。
バッカみたいなプライド持って自死する貴族さまか、それこそ憐れむくらい、バッカみたいな過去の自分の人生(誰だって、よごれて堕ちて生きてんだ)を真っ白だと勘違いしてる勝ち組以外は、なぁ?

殺す、だろーさ、戦場に立てば。

なら、ひとつの光は、そこにあるかな?
どーせ、さ。
人生なんて、生きるか、死ぬか。
殺すか、殺されるか、だろ?
そんななかでさ、懸命に、それでも懸命に、生きようとしたっていいでしょーが。
殺されるのが嫌だから、殺すくらいの、したたかさは持っていてもいいんじゃないかな?

で、だ。

問題は、そのあとのことだが、




って、語ろうとして、なんだか言葉に詰まってしまってる。
なーんだ、良かったよ、私、無尽蔵じゃなかった。



いや、でも、だよ。
こんな心さえ、文章にしてしまうから、ウチって無尽蔵って、いわれたんかなぁ?
って、最後は、なんで、関西弁?
(イヤ、ごめん、そこがウチの、アイデンティティ、(えっ、なんのお茶?)な、もんで(イヤ、それは飲んだらあかんヤツやがな)。

(あっ、違うか、それは飲み続けたほうが、いいもんなんか、なぁ?)



茶ん、茶ん。








散文(批評随筆小説等) ごめん。私、『無尽蔵』なもので。 Copyright 秋葉竹 2020-02-22 14:01:04
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