答えのこと
はるな


いつのまにか十月は過ぎて、ぼんやりした十一月、年の瀬をつま先に感じて葱を刻んでいる。
ねーままはさ。はなのどこがそんなに可愛いの?って質問、いちいち真剣に考えて、ほっぺなところだよ。とかどんどん重たくなるところ、えーんて泣くとき透明の涙、やさしいよね、手をつないでくれるところとか、まっすぐの髪の毛もそうだし、あんまり真剣に塗り絵をしてうまくできなくて怒ってるところも可愛いよ。とか答えてたんだけど、ついにもうめんどうくさい日に、そんな理由なんてないよ。って言ったら、それがどうやら答えだったらしくてそれからはもうあんまり聞いてこない。と思ったらこんどは、ねーまま。はなはままのどんなとこが好きなんだかわかる?って質問、ごはんつくるところ?抱っこするとこ?たまにふたりでホットケーキ食べにいくから? あのねえ。それもそうなんだけど、ちがうよ。あのねえこたえはねえりゆうはない。

自分にできるぜんぶを使って、むすめには正しく向いていたいとおもったのだ。そうしないとなにか恐ろしいことが起こるような気がして(いまもいる)。むすめの言葉を聞くことが、正しいことと思っていたから、いつでも、待っているから話してみてと言ってきた。泣いてもいいし、怒ってもいいし、間違えたっていいけど、話してみて、待っているから、というのはでも、自分がして欲しかったことだった。どうして泣いているのかわからない、と泣いているむすめに、いいよ、泣いててもと言うと、「よくない、泣き止みたい、どうして泣いているのかわかりたい」。わたしができるぜんぶを使って正しく向いていたのは、結局自分の欲求についてであった。
それでもやっぱり自分にできるぜんぶを使わないことも、正しく向かないでいることも、できないな。
(あのねえこたえはねえ りゆーはない)。


散文(批評随筆小説等) 答えのこと Copyright はるな 2019-12-09 18:34:37
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